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弱い自分と向き合う4年間|鈴木春平

MF #9 鈴木春平
県立水戸第一高校出身

フィジカルが持ち味の9番。2022シーズンは中盤へのコンバートを経験するも、その闘志を変わらず燃やし続け、チームを鼓舞した。

鈴木春平の最後のメッセージ。

 まず初めに、OBOGの皆様、いつも現役部員の活動のご支援・ご声援頂きましてありがとうございました。大学3年時に、小平が人工芝化してから、「ホームタウンの素晴らしい環境の中で活動できる」ことが本当に幸せでした。今シーズンは小平での有観客試合は叶いませんでしたが、来シーズンこそは直接現役部員の勇姿を見られるかと思います。

 本題に入らせて頂きます。一橋大学ア式蹴球部に入部した日を鮮明に覚えていますが、とうとう引退を迎え、最後のブログを書くことになってしまいました。何を書こうかと迷ってますが、綺麗なことは書きたくないので自分らしく、4年間で感じていたことを赤裸々に記します。

 大前提として僕は一橋大学ア式蹴球部において関わった全ての人が最高の仲間だったと信じていますのでこの時だけは無礼講でお願いします。

 高山さんと右さんの代、ア式めちゃくちゃかっこよかった。

 これがおれの先輩だって言えるのが本当に誇らしかった。朝鮮大のキーパーが点決められてブチ切れてたのまだ鮮明に覚えてるし、勝つために全員が一体感持ってたな。そんな先輩が掲げている「1部昇格」に対して、リーグ戦では貢献出来ないかもしれないけど下からの底上げをしたかった。辛いこともあったけど、自分もア式になりたかった。
 みんなから茶化されたり、最近色々あったりしたけどキドさんのことは本当に尊敬してます。

 ア式に入れてくれてありがとう。

 やまけんさんとたくみさんの代、自分のことで精一杯だった。

 何も出来なかった都トーナメントと新人戦。これじゃ絶対にダメだって思って冬から自粛期間、自分ができる最大限の力で身体鍛えた。関西遠征でBだったことは本当に悔しかったけど自粛期間の最大のモチベーションになったから今では良かったと思ってる。瀬山さんの怪我で出場できた神奈川大学戦。ようやくア式になれたって思えたけど、まだ自分のことで手一杯だった。チームのこととか度外視で自分が活躍する方法を必死に探してた。リーグ戦に無理してでも出れなかったのは自分の弱さだったし、大学サッカーでのターニングポイントだったなって思ってる。
 ただ、 1部昇格への難しさ、リーグ戦の緊張感、先輩方が最後まで戦う姿勢を間近で見れて本当に良かった。そんな先輩たちとサッカーできて本当に幸せだった。

 玉川戦、キーパーの股抜いてたらな。

 七條さんとまーぼさんの代、めちゃくちゃ楽しかったけどめちゃくちゃ苦しかった。

 これが自分の求めてたア式での活動だって本気で思ってた。戸田さんの的確すぎるフィードバックとか練習中の一声は心に刺さるけど、こんなエネルギッシュでパワフルな人今後会えるのかなってくらいすごかった。おれたちを本気で勝たせようとチームを鼓舞して、最前線で戦ってた。その上、1個上の代の一人一人が持ってるように見える使命感がめっちゃ好きだった。全員が自分の考えを持ってるのが伝わってくるし、この人たちが掲げてる「1部昇格」に貢献したいって心から思ってた。
 でも、怪我で出遅れて、ようやく貢献できると思ってもまた離脱したりと自分のことが本当に嫌いになってた。自分がいたはずの場所で自分以上の活躍をしている選手が妬ましかったし、自分のいない最終節でみんなが喜んでるの見てたら感情ぐちゃぐちゃになってた。

 観覧席から落ちる儀式おれもやりたかったな。

 そして迎えた自分の代、途中感情消えたシーズンだったな。

 先輩にも言われてたけど、自分が1番思ってた。「おまえ何やってんの」って。1番最初の紅白戦でサブにいた時から正直理解できなかった。それに「1部昇格」を掲げる気配も無く、練習もぬるかった。戸田さんとか先輩の勝利に対する貪欲な姿勢から感じるもの無かったな。

 でもだからこそ、自分が現状を変えたいと思って、自分ができることを探し続けた。練習に対する姿勢、後輩とのコミュニケーション、練習動画も毎日できるだけチェックするようにしてた。上手くいかなくても、ア式と向き合い続ける時間を長くとる事が大事だと思ってたから。それに代々受け継がれてきたア式の戦う姿勢をピッチで表現して、チームを鼓舞出来るのは自分しかいないって本気で信じてたから。

 自分の長所の活かし方を考え、いつ出番が来ても活躍出来るメンタリティを用意していた。短所に向き合う時間は本当にしんどかったし、サッカー見るのも嫌になったこともあった。それでも仲間と喜びたいから、皆とサッカーで喜びたいから頑張ろうって思ってた。ただ、どれだけ悩んでも走っても景色は変わらなかった。

 ア式っていう組織のあり方にも疑問を持つようになった。欠席は多く、練習も活気が無く、何より尊敬してた先輩が残してきた伝統がどんどん薄れてった。これが新しいア式だから受け入れないとっていう葛藤がずっと自分の首を絞めてた。

 でもやっぱりそんな現状を変えない自分に腹が立って腹が立って仕方がなかった。首脳陣の一翼を担ってた人間として、同期内で呼びかけてミーティングできたし、円陣で思うことがあれば全体に伝えられた。ア式は人と人との距離が近い分なんでも出来たはずなのに何もしなかった。先輩が残した伝統を壊すことを後押ししてるのはその伝統を知ってる自分だってことが受け入れられなかった。

 そんな1年でも最後までやろうと思ったのは、Bで誰より頑張る彼の姿を見て元気もらってたから。

 彼は1人でもおれの憧れてた「ア式」を体現してたし、1番部員から愛されてた。おれらの代で時間的にも1番長くア式に在籍して、チームを引っ張ってた。時々ムカつくけど本当にいてくれてよかった。もう会わないと思うけど(笑)4年間ありがとう。

 4年間を語るにはこんなもんじゃ足りません。夏合宿でシュート全部外した事とか戸田さんに今考えると本当に頭のおかしいLINEを送ってしまったこととか何度も泣いてたこととか。

 マイナスなこと沢山書いてるけど本当にかけがえのないものであり、書いてる時に思い出してうるっとくるものもあります。正直、最高の4年間ではなかったし、こんなに感情が揺さぶられることも今後ないと思います。

 後輩へのメッセージは一言だけ。

「ア式と本気で向き合って欲しい」

 これだけです。あとは同期に任せます。

 いつの日にか全部笑い話にできて、最後の学生生活、最後のサッカー生活を締めくくりたいです。

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