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ラストプレーにこだわる|渡辺志音

プロフィール
渡辺志音
出身高校:都立桜修館中等教育学校
学部:社会学部
ポジション:CF /OMF

ア式蹴球部3年の渡辺志音です。ポジションは前線の方色々してます。

ブログの執筆を頼まれ書くことが全然思いつかなく、だいぶ締め切りから遅れてしまいました。担当の人には申し訳ないと思っています。書くことを考えれば考えるほどネガティブなことしか出てこなかったので、このブログは自分自身への戒めにしようと思って書きました。拙い文章にはなりますが読んでいただけると幸いです。


プレーにはその人の性格が出る。例えば真面目な性格のMK君は攻守にわたって堅実なプレーを行い、別の人はピッチ内でもピッチ外と同じように肝の据わったプレーをする。そう思って自分のプレーを振り返ると、ラストプレーが雑とよく言われる。これは1年の頃に戸田元監督にも怒られたことであり、3年になった今でも指摘を受けることがある。パスを受けてからターンするまではいいものの、最後味方に出すパスが雑なこと。ドリブルや抜け出しでうまく相手ゴール前まで行っても、フィニッシュが雑なこと。自分のプレーを思い返すと、たくさん該当するプレーが見つかる。


このラストプレーの丁寧さというのは、技術の問題というよりも意識の問題の側面が強いと思う。自分がラストプレーにこだわれていないのは、そこに至るまでの過程に満足してしまうからだ。過程に満足してラストプレー、結果にこだわれずに終わる。過程に満足してしまうことはピッチ外でも現れていて、これが結果に対しての貪欲さに欠ける原因の一つである。心のどこかでリーグ戦に絡めなくてもしょうがない、という思いがあり、無意識のうちに結果が出ていないのにその過程だけで満足してしまっているのだろう。


プレーの中で見られる詰めの甘さは日常生活の中でもよく見られ、その度に親をはじめとした周りの人に注意を受けることがある。ラストプレー、つまり最後の一手にこだわるという意識は、サッカーだけではなく自分が今後社会に出た時にも必ず必要になる意識である。ラストプレーの雑さが自身の性格、意識に起因しているように、ピッチ外での人としての振る舞いがピッチ内でのパフォーマンスにつながっている。ア式の中には着実に人として成長しパフォーマンスも向上させている人がたくさんいる。自分と彼らの成長の差は日常生活や日々の活動の中での意識の差である。この3年間で日々の活動での小さな意識の差がどれだけ大きな差になるのかを痛感した。日常生活における意識を変えることで日々の活動での意識も変わりプレーも変わってくる。意識を変えることが自分を人間としても選手としても成長させてくれる。このことに今気づけたことは幸いである。残り1年間、短い期間ではあるが日々の意識を変えるだけで1年後の自分は変わっているはずである。


まずは、日常生活でもプレーの中でも「ラストプレーにこだわる」。終わりよければ全てよし、というわけではないが、ア式でのラストプレーを有終の美で飾るためにも、人として成長するためにも最後の1年間を日々全力で頑張りたい。


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