見出し画像

連載:人とお寺のあたらしいディスタンス vol.7「無目的な時間を一緒に過ごそう」向井道江さん

こんにちは。未来の住職塾の遠藤卓也です。

「ポスト・コロナのお寺の場づくり」をキーワードに、全国各地の僧侶にお話しを伺っていく連載「人とお寺のあたらしいディスタンス」。第7回は徳島県徳島市 金光教 佐古教会 向井道江さんにインタビューしました。

未来の住職塾NEXTでは【仏教以外の宗教の留学生枠】ということで、伝統仏教寺院に準ずる運営形態を持つ宗教施設において「宗教指導者」としての役割を担う方もご参加いただけるようになっており、過去には神道、黒住教、天理教の方にも受講いただいています。

向井さんは金光教の教師という留学生枠で昨年開催の「未来の住職塾NEXT R-2」にご参加され、ご自身の教会の事業計画書を完成させました。半年間、仏教や天理教など他宗教の仲間たちとともに学んだご感想も含め、今後の教会の展望についてお聞きしました。

インタビュー:向井道江さん(徳島県・金光教 佐古教会)「無目的な時間を一緒に過ごそう」

画像1

プロフィール:向井道江
金光教佐古教会の在籍教師。1986(昭和61)年徳島県生まれ。徳島大学生物工学科を卒業後、営業に魅力を感じてそば粉屋の営業として勤務。その後、金光教教師の養成学校「金光教学院」へ。卒業後、大阪の金光教難波教会で一年修行。
現在は実家である佐古教会の御用とともに全国青年教師連盟委員長、金光教教学研究員、育成室員等の教内御用を受けながら、ガールスカウトリーダー、傾聴ボランティア、防災士などの活動を行っている。未来の住職塾NEXT R-2 修了生。

遠藤 向井さんは昨年「未来の住職塾NEXT R-2」に参加し、半年間の学びを経て修了されました。金光教の教師さんとしては初です。R-2からオンライン講義となったため、まだモニター越しにしかお会いしたことがないんですよね。それでも旧知の仲のような親しみもあり、こうしてインタビューにお答え頂くのが不思議な感じです。
そもそも金光教の教師である向井さんが、なぜ「未来の住職塾」に参加しようと思われたのでしょう?

向井 2019年の12月、たまたま本屋さんで宗教やビジネス関係の本をさがしていた時に、松本紹圭さんと遠藤さんの共著『地域とともに未来をひらく お寺という場のつくりかた(学芸出版社)』を見つけて、「面白そうな本がある!」と思って購入しました。本の帯に書いてあった言葉が私の胸にささったんです。
「全国にたくさんあるお寺が、それぞれの抱える課題に対して何かひとつ取り組むことができれば、それは社会を支える大きな力になるだろう」

遠藤 未来の住職塾一期生の窪田充栄さんの言葉ですね。

向井 読んだら中身もとても面白くて、すぐに松本さんにメールしました(笑)そうしたら東京のお寺で「テンプル・モーニング(朝掃除の会)」をやっているからおいでよと言っていただいて、すぐに飛行機をとって一泊二日で行ってはじめて松本さんとお話ししたんです。私自身がちょうど「自分の教会に帰って何ができるんだろう?」と悩んでいた時期で、もっとお話しが聞きたいと思って「未来の住職塾NEXT R-2」に参加しました。
あの本がなければ、松本さんのことも遠藤さんのことも知らなかったので、本のおかげやなあと思います。

遠藤 本を出してよかったです!ありがとうございます。

教師としての原動力となった出会い

画像2

遠藤 向井さんは金光教 佐古教会の次女としてお育ちになられたとのことですが、どのような経緯で教師になられたのですか?

向井 小学校の文集には将来の夢として「金光教の教師」と書いてあるのですが、その時の気持ちを全然覚えていなくて、大人になって読みかえしてびっくりしました。薄々は、なりたい気持ちがあったのかなあ。
地元の大学で遺伝子工学を学んだのですが、不器用で実験が苦手だったから食品会社の営業職に就いたんですね。
営業の仕事は、元々ある商品が自分の表現の仕方次第で、いいものになったり魅力のないものになったりすることが面白くて「超楽しいやん」と思ってやっていましたね。
でも会社には、入社面接の時に「いつか辞めて金光教の教師になるかもしれない」ということは伝えてありました。

遠藤 営業のお仕事は向井さんにあっていそうな気がしますが、それよりも金光教の教師になることが優先だったのですね。

向井 会社で丸々4年働いたあと、姉が結婚して家を出ていったので「ほな、私が継がないかんのかな」と、会社を辞めて岡山に一年間修行に行きました。

遠藤 修行はいかがでしたか?

向井 やる気満々で岡山にある金光教の教師養成所に入りました。
そこでは18歳の若い子から70歳のおじいちゃんまで、年齢もバラバラのメンバーで班を組んで行動するんです。その時に60代の女性が同じ班になったのですが、その方はちょっと特別で1ヶ月で修行して出ていくという形だったんです。その女性と一緒に作業をしている時に「私、末期がんなんですよ」ということを言われて。一緒に修行にはいった時期は、お医者さんから言われた余命の時期だったんですね。それでもその女性はいつも楽しそうに幸せそうにしていて、「ご飯おいしいし、こんな風に生活できることが嬉しいのよ」と、本当にいつもニコニコ笑顔で元気でした。あと半年も命があるかわからないという状態なのに「なんでこんな風に居れるんだろう?」って考えた時に、これは本当に「信心の力やな」と思ったんです。
信じるものがあるという人の強さ。そういう強さを持つ人に私自身もならせてもらいたいし、みんながそのような強さを持ったら、すごい幸せなことだよね。と、あらためて宗教者としての使命を感じました。彼女のように強く、何があっても喜んで生きていられる人が増えてほしい、ということが私の仕事だと思ったんですね。
その女性は半年後に亡くなられてしまったんですけど、でも私や同じ班の子たちには彼女の気持ちがすごく伝わっていて。それは今も私の中での、金光教教師としての原動力となっていますね。

遠藤 修行でそんな出会いがあったとは、良いご縁でしたね。
向井さんとは実際にお会いしてないのですが、Zoomでの会話の雰囲気やテキストメッセージのやり取りからも笑顔が伝わってくるような印象を持っています。今のお話しを聞いてなんだか妙に納得しました。

お寺と教会、重なるジレンマ

遠藤 先ほどおっしゃっていた「自分の教会に帰って何ができるんだろう?」と悩んでいた時期は、具体的にどんな悩みだったのですか?

向井 養成所を出たあと、大阪の教会でもう一年修行をさせていただいてから自分の教会に戻ってきました。すると子どもの育成キャンプや研修など、金光教内の行事に声をかけてもらってお手伝いに行くようになったんです。自分にとっての「勉強の時期」と思って積極的に参加していたら顔も広がりお役目もいただいたりして、忙しいときは年の三分の一は教会に居ないような状態になりました。それで「自分は色んなことやってるぞ」という気分になっても、いざ教会に帰ってきたら何もできていない自分がいることに焦りを感じました。
金光教内ではめっちゃ頑張ってるのに、教会に帰ってきたら何をすればいいかわからない。教会で何かさせてもらいたいとは思うけど、何に対して動けばいいかわからない。その一歩目がわからないという状態だったんですね。

遠藤 向井さんと同世代のお寺の跡継ぎの方も、全く同じような悩みを抱えています。

向井 お寺さんもそうなんですね。今の金光教の青年たちも、私と同じような思いを持っています。
「私に何ができるんかなあ」と考えながら、徳島大学でやっていた起業家のための講座に参加しました。私は、地域と教会の助け合いをテーマにした起業プロジェクトをプレゼンしたのですが、宗教だからだめだよみたいな反応はなかったんですね。佐古という地域には教会の他にもお寺さんとか宗教施設が多いので、空いている場所を居場所スペースとして開放できるようにして近所の子どもやご老人が来られるようにして、お寺や教会のイベントを代わりに運営するようなサービスの提案をしました。それは面白そうという反応があったのですが、収益性のことや、多様な宗教を巻き込むことの難しさもあるので、まずは自分のところで何かやり始めてみてはどう?というアドバイスをいただきました。
確かにまずは自分のところからやらなければなあと思って、、、でもまだ動けていないんですね。

Withコロナの今こそ大事にしたい活動

画像7

遠藤 世の中の状況としても集まることが難しくなってしまいました。

向井 佐古教会としても30年くらい続くバザーをやっていました。ご信者さんや近所の方にも手伝ってもらったりして、売上を寄付するチャリティーバザーです。でもこの2年はコロナの影響で開催できず、近所の方からも「今年はやらないの?」と聞かれます。

遠藤 せっかくの歴史ある行事が途絶えているのは何とも心苦しいですよね。Withコロナの生活の中で、どのように考えましたか?

向井 金光教では「結界取次(けっかいとりつぎ)」という、一対一の対話をさせていただくことが教会の活動の中心ということになっています。未来の住職塾で教会の計画をつくりながら、最終的に私はそこに戻りたいんだなと思ったんですよ。
やりたいことを色々考えていたけど、困った時や不安な時にいつでも話しに行ける場所、行ったらなんとなく安心する場所、岡山の教師養成所で会った女性のように生きる喜びを感じながら生きられるきっかけになる場所、一対一でしっかりと話せる場所、というのが教会なんだなと。一対一なら密にもならないですしね。戻るのはそこだったんだなあ、ということは最近よく思うんです。

遠藤 「結界取次」という言葉は知りませんでした。

向井 そうですよね。自分としては「話を聞きますよ」「結界取次できますよ」と思っていても、それが地域の人や教会の前を通る方が知らなければ、それは無いに等しいんだとわかりました。信者さんや自分は結界取次って当たり前にあると思っていますが、それが本当に必要な人たちには、その姿は見えていないんだなということに気づいた時に、広報というか「教会をどうあらわしていくか」ということが大事だとすごく感じていますね。

遠藤 確かに、未来の住職塾でつくった教会の事業計画書にも、広報系のアクションが多く含まれていましたよね。

向井 はい。宗教・宗派にとらわれず悩みを聞いてもらえて、内容は外に漏れないし、お金のことも時間のことも気にせずに話しができますよ、という場所が結界取次だと思うのです。それがもっと周知されていけば、金光教の教会は全国に1,500あるので、心が苦しい人の気持ちが軽くなるお手伝いができるんじゃないかなと思っています。

遠藤 まさに最初に仰っていた、本の帯の言葉の通りですよね。共感します。

「全国にたくさんあるお寺が、それぞれの抱える課題に対して何かひとつ取り組むことができれば、それは社会を支える大きな力になるだろう」

遠藤 私は「お寺の広報」というテーマで講師をやることもあるので、金光教の青年教師の皆さんにも是非きいていただきたいです。

向井 ぜひ、お願いしたいです。

「無目的な時間」を過ごすこと

画像3

遠藤 お寺でもよくあることですが「いつでも来てください」と言っていても、結局は用がないとなかなか行けないんですよね。だからテンプルモーニングみたいな機会があると「ちょっと来てみませんか」と言えるんですよね。向井さんが徳島から東京まで、松本塾長に会いにきてくださったのも、そのパターンです(笑)

向井 確かにそうですよね、私でもお寺に「いつでもどうぞ」と書かれていても、やっぱりなかなか行けない(笑)

遠藤 日頃のコミュニケーションによる関係性があるからこそ「話しを聞いてもらおうかな」となるわけですよね。朝掃除でも居場所活動でもよいと思います。

向井 そういう活動って、やろうと思えば一週間くらいで企画して負担にならないような感じで出来そうなことだとわかっているのですが、なぜ私はできないのだろう?というなぜなぜ探しを今しているところです(笑)
一歩動きだすことを、重く感じちゃうんですよね。住職塾では、失敗を繰り返して形ができあがっていくということを教えていただいたので、そろそろ始めないとなと思っています。

遠藤 この連載に最初に登場してくださった山梨県の日蓮宗 法源寺 横山瑞法さんは、テンプルモーニングをはじめた時に「最初は一人も来なかった、、、」と仰っていました。
誰も来なかったけど自分でお寺の朝の時間を楽しんでみた、と言っていましたね。いつものように境内を掃いて、お経をあげて、自分のために淹れたお茶を飲んでみたと。その時間は、瑞法さんにとってのセルフケアでもあったと思うんですね。
一日の中で「無目的な時間」ってあまりないですよね。忙しいと何事も目的をもって動いてしまう。でもお坊さんの「お経をよむ時間」って意外に無目的だよねという話しもあって。
特に日常的にお経をよまない私たちにとっては「無目的な時間」が必要だなと、最近思っているんです。「無目的な時間」を提供する空間として、お寺や教会は最適にみえます。

向井 なるほど、「無目的な時間」ですか。

遠藤 向井さんにとっても「無目的な時間」のための、朝掃除や居場所活動と思えば、始めやすくないですか?誰もこなくても、そもそも無目的な時間なので(笑)本を読んだり、勉強をしてもいいですし。
もし誰かが入ってきて一緒に時間を過ごせば、ぽつぽつと語りだす方も出てくると思います。
以前、新宿のお寺の居場所活動に参加して過ごしたときも、やはりそんな感じでしたよ。

向井 自分の知らないところでいきなり身の上を話し出すのは難しいですし、「無目的な時間」つまり「何かをしなければいけないということではない時間」を一緒に過ごすということですよね。

遠藤 そうそう「しなければいけない」「こうであるべき」を外してあげるとか。思い込みから解放するとか。そういう力が、宗教にはあると思います。それは結局、無目的な時間の中でそれぞれの人が自分で感じ取るのでしょうけど。

向井 祖母が高齢者住宅に入っているのですが、入ったら話し相手がなかなかできないし、施設のスタッフたちは業務で忙しいので、孤独を感じているらしいんですよね。そういう人って自分の祖母以外にも、地域にたくさん居ると想像します。
ゆっくりと自分の話しをできる場所のない方が集まる場所として、お寺や教会があってもいいのかな。何の目的もなく、ただただ話しに行ける場所。ありそうで、ないんですよね。

なんでもないおしゃべりの中で

遠藤 お寺だと地域によっては檀家さんのお宅に訪問する月参りみたいな習慣がありますが、佐古教会ではそういう機会はありますか?

向井 教会だよりを毎月発行していて、教徒さんのお家に直接持っていくんですよ。その時にちょっとお話をしていますね。近況を聞いたりとか、声掛けにもなるので。

遠藤 それはお寺の月参りに似ていますね。

向井 今は父と分担してやっていますが、私が行っているお宅のおばあちゃんとは、毎回一時間くらいお話ししますよ。お茶出してくれて「庭の梅見てくれませんか」と言われて写真を撮ったりとか。そんな中で、早くに亡くなられた娘さんの話しが出てきたりとか、体の状態についての苦しさとかも話してくれたりして。

遠藤 それはいい時間ですね。

向井 私は会議とか目的のために集まってはなすことのほうが得意で、目的のない話しが苦手でした。「おしゃべりって意味あるの?」くらいに思っていたんです。信者さんのところにいくのも、逆に緊張する。お話しして「何かを持って帰ってもらわなければいけない」という思い込みで、自分自身が緊張しちゃっていたんです。
最近はそういうこともなくなってきて、なんでもないおしゃべりの中で、信者さんの今思っていることがポロっとでてくる。それで十分じゃないのかなと思えるようにはなってきましたね。
そういう時間が、信者さんのお宅に行く時だけではなくて、教会の中であってもいいんじゃないかなとはすごく思いますね。

遠藤 こうやってお話ししているうちに、なんか見えてきましたね。お伺いする機会と、来て頂く機会をうまく使い分けられるとよさそうです。

向井 はい。教会に何も目的なく来ていただく機会は今のところあまりないので、それぜひ作りたいですね。

遠藤 地域包括ケアにもつながるような、地域社会において大切な活動になると思います。ぜひ!

教会のこと

画像4

名称:佐古教会(さこきょうかい)
宗教:金光教(こんこうきょう)
住所:徳島県徳島市佐古三番町3-21
Facebook:https://www.facebook.com/sakochurch
Instagram:https://www.instagram.com/konko_sako

告知|未来の住職塾NEXT R-3 受講生募集中!

画像6

2021年6月に開講予定の「未来の住職塾NEXT R-3」では、受講生を募集しています。昨年より、完全オンライン化となり時間の少ない方でも十分に受講していただけるようになりました。また、奨学金制度が拡充されご利用いただきやすくなりました。詳細は、下記のリンク未来の住職塾ホームページにてご確認ください。多くの方の受講をお待ちしております!

インタビュアープロフィール

画像5

遠藤卓也未来の住職塾 講師。共著書に『地域とともに未来をひらく お寺という場のつくりかた(学芸出版社)』。「お寺の場づくり」をテーマに、IT・広報・イベント制作の分野でお寺をサポートする。また「音の巡礼」というプロジェクトでは「音がつなぐ、あたらしい巡礼の旅路。」をコンセプトに、お経からはじまる新しいご縁のあり方を探求中。
note|https://note.com/taso_jp
Twitter|https://twitter.com/tasogarecords

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?