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彼女は映画館からそっと出ていった

はつ子さんと連絡が取れなくなったのは、先々月のことだった。
メッセージを入れても既読にならなかった。店が忙しいのだろうと思っていた。
年上の友人のはつ子さんとは、仕事で知り合った。彼女の夢を一緒に追い続けてきた。いや、そうではない。人生を賭けて店をつくりあげてきた彼女を、傍からずっと、ワクワクしながら眺めてきた。
プライベートでは年に2、3回会う。通っている病院で同じ医師にかかっているので、診察日を合わせて、帰りに一緒に食事をするのが、ここのところの習慣だった。そんなときでもないと、忙しい彼女はつかまらない。

彼女からの連絡が途絶えた頃、病院からの着信が何度かあって、胸騒ぎがした。「病院から電話がありましたよ。なんでしょうね?」と私は彼女にメッセージした。何度目かでようやく繋がった電話の向こうの声は主治医だったので、俄かに緊張した。直接かかってくるのは初めてのことだった。ただそれは検査結果でも、はつ子さんのこと(あたりまえだ)でもなく、次の診療予約日の変更をお願いしたいというだけのことだったので、ほっとした。変更した日時をはつ子さんに送って、私は日常に戻った。

けれど胸騒ぎのようなものは、心の中にずっとあった。
だからはつ子さんの店からメールをもらったとき、読む前からわかってしまったのだ。

「はつ子さんが永眠されました」

誰かの訃報を知らせるメールは静かだ。静かで厳かで、言語道断だ。

はつ子さんのもとで真摯に働き、仕事を受け継いだその人は、私が彼女と連絡が取れなくなって心配しているだろうと気遣って、教えてくれたのだった。はつ子さんはずっと元気で仕事していたが、急に、仕事ができないほど体調が悪くなって入院し、そのまま逝ってしまった。そのことは公にしないよう、言づけられていた。店と彼女は一体だが、彼女のプライベートは店のお客にどんな影響も与えてはならないのだろう。

最後に会ったとき、まだ元気だったはつ子さんは言っていた。
「次に会う時は秋なんですね。春も夏も過ぎて」。

はつ子さんが入院して、最後の春と夏が過ぎていくその間、私はなにも知らずにのんきに暮らしていた。知ってもなにも変えられなかったのだろうし、無駄に悲しんだにちがいなかった。ずいぶん前から仕事の引き継ぎをして、家族が困らないようにさまざまな準備をして、旅立ってしまった彼女のことを思うと、潔くて彼女らしい。
でも、私はひどく淋しかった。すっかり打ちのめされてしまった。

そんなとき目に飛び込んできたのが、Facebookで繋がっているSさんの投稿だった。彼はつぶやいていた。

「自分が死んだら、30年後くらいまで公にしないでほしい」

わたしはそれを見て、ふと感じた。
はつ子さんもそういう気持ちだったんじゃないか。

30年もしてから公にされても、それが誰だか誰もわからないだろう。著名人だったとしても一瞬「誰?」となるだろう。

それは親しい誰もを、自分のことで煩わさせたくない、ということかもしれない。あるいは、親しくない誰かに、自分の人生をあれこれ解釈されたくない、ということかもしれない。

真意を尋ねたら、「どちらもですね。最近、情報の拡散速度が異常に速くなって、誰かが亡くなると、さしてその人の真価を考えたこともない人までがこぞって追悼モードに入る。一瞬で醒めるくせにね。そういうのがじつにくだらないと思ったので」とSさんは言った。「人が死んだら、映画館からそっと出ていった程度に考えて、しばらくは忘れ、ある時間を経てからじっくり思い出すのがいいと思って」。

映画館からそっと出ていった。
それは、私には救いのように響いた。
私は、ただもうちょっと彼女と一緒に、映画を観ていたかっただけなのだ。

はつ子さんは、名前のようにいつもはつらつとしていた。なにを思い出しても、元気な姿しか思い浮かばない。私には、楽しい思い出しかない。30年もしたら、そうした記憶はこの地球上からすっかり失われてしまっているだろうが、彼女の夢は終わらず、受け継がれていくはず。私はそのように確信する。



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