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その言葉の意味を、わかっているか

わたしたちはふだん、言葉を使って生活しているが、その言葉をちゃんと使えているだろうか。
意味を真剣に考えてみたことがあるだろうか。

国立市公民館主催講座「図書室のつどい」で、詩人で明治大学理工学部教授の管啓次郎さんのお話を伺った。

詩やコラム、書評の朗読のあいまに、管さんは冒頭のような問いかけを放っていく。

大人になり、社会に出ていくにしたがって、型に押し込められるようにあてはめられたアイデンティティのせいで、不自由になっていないだろうか。
つまらない言葉を発するようになってしまってはいないだろうか。

自分たちの歴史や置かれている状況を特に考えなくても生きていける国にずっといて、自分の考えをちゃんと言えるだろうか。言葉を奪われてはいないだろうか。

ジャングルに取り残されたとき、生きていく術を知っているだろうか。資本主義経済のなかの「商品」以外の知識を、知らなすぎではないだろうか。

危機感をはらむこうした問いかけを、聴講した人はどのように受けとっただろう。

そこから解放されるために、自分の考えや言葉を取り戻すために、本がある。本では、いろいろな言葉に出合う。読む前と後では世界が違って見えるような体験もする。素敵な言葉にも出合う。

引用したくなる文とは驚きがあり、カラフルで、何の音とは呼べない自然の音響にみち、それ自体が踊っているような印象を受ける文のこと。その文に出会うことでたちまち自分が夜の獣のように覚醒し、心が風にさらされ、体が光を浴び、気分が変わり、遠くまで見えるような気がする

「蜜蜂が書いた日本語の文章を」< 『本と貝殻  書評 / 読書論』

上記は管さんの『本と貝殻  書評 / 読書論』のなかでルーマニア出身、弘前在住の文化人類学者イリナ・グリゴレの『優しい地獄』を紹介した箇所だ。
管さんの言葉は書評でも、美しい詩のようだ。

わたしもそんなふうに言葉を拾い集め、磨いて並べ、誰かにそっと差し出せたらいいと思う。



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