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Interview#57 おいしいごはんと漬物と味噌汁のようなサンドイッチ

そのお話はまるで、日本のパンの現代史をたどっているかのごとく、いや、まさにその通りだったのです。食の仕事に携わる人々の、パンとの関わり、その楽しみについて伺う企画、57人目の今回は元マキシム・ド・パリ総支配人で、ドミニク・サブロンのブーランジュリーを日本に招聘したこともある田中保範さんにお話を伺いました。

おいしいごはんと漬物と味噌汁のようなサンドイッチ

元銀座マキシム・ド・パリ総支配人 株式会社ONDO代表取締役 田中保範さん

銀座マキシムのシャンピニオン

世の中にこんなにおいしいパンがあるんだ、と思ったのは、青山ドンクのフィリップ・ビゴさんのパンを食べた時でした。銀座のマキシム・ド・パリでは創業当時から、そのドンクにシャンピニオンを作ってもらっていました。私が入社した後も、パーティの時に、大きなパン・ド・セーグルをくり抜いて蟹のサンドイッチなどを作ることはありましたが、基本はシャンピニオン。あとは薄く切ったパンドミで毎朝、パリパリのメルバトーストをランチ用に作りました。前菜までの間、飾り切りにしたラディッシュとバターと一緒に、お客さまにつまんでいただくのです。

シャンピニオンの食べ方は自由ですが、パリパリの部分が大好きな外国の方は、中身を残し、皮だけ召し上がることもありました。若い頃には「パンにかぶりついではいけない」と習いましたが、彼らを見ていると、温かいシャンピニオンにナイフを入れて、そこにバターを入れて、ガブッとかぶりついているんですよね。なんだ、あれでいいんじゃないかと思いました。おいしいですよね。

コミ・ド・ランの時代

父が映画会社に勤めていて、小さい頃から映画館に通っていたからでしょうか、外国への憧れは強かったのです。学生時代、銀座にすごいレストランができたと聞いてマキシムを見に行った時、クロークにいたフランス人(ディレクター)が中を案内してくれたんですね。その時、ここで働きたいと思いました。当時、厨房で100人、サービスで50人ほどのウエイティングがあったそうですが、なぜか就職できたんですね。後で聞いた話だと「変わっていたから」なんだとか。

朝6時から仕事を始め、8時半になると先輩たちが来るので、彼らの仕事を手伝いながら覚えていく。インターネットはもちろん専門書も少ない時代ですから、エスコフィエの料理本(原書)と、フランス語も英語もいっぺんに覚えられるように仏英辞典を買いました。銀座のイエナに注文しておくんですが、それがすごく高いんですよね。初任給の半分くらいしました。毎日、フランス語で書かれた伝票を家に持ち帰っては辞書を引き、料理を思い出しながら絵を描いて、準備しなければいけないものやことを書き込んでいく。それが日課でした。

マキシムでは 厨房と同等に、表の人たちが力を持っていました。表というのは、サービスを務めるコミ・ド・ラン、シェフ・ド・ラン、そしてメートル・ドテルのことです。一番下のコミは、お客さまと接することはなく、キッチンからワゴン、ワゴンから洗い場の間を受け持つのですが、ここがしっかりしていないと、すべてがガチャガチャになってしまう。とても大切な役割です。

チーズトーストとバゲットサンド

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コミの仕事の一つに、毎朝、パルメザンチーズを削ってガラスの器に入れておくというのがありました。オニオングラタンスープを供する時に、席でもチーズをかけてさしあげるのですが、その用意です。チーズが余るので、あとでバゲットにバターを塗ったところに振りかけて、オーブンでパリッと焼いて食べるのがおいしかったですね。今でも作りますよ。

ジャンボン・クリュ(生ハム)とブリ・ド・モー(白カビチーズ)をバゲットに挟んで食べるのも大好きです。いろいろ食べるんですが、結局落ち着くのはこういうもの。ご飯がおいしくてお漬物とお味噌汁がおいしければそれでいい、というのと同じです。バゲットはパン・デ・フィロゾフの榎本晢さんのバゲット・J・コンプレです。

マキシムで総支配人になり、自分たちでパン屋を運営する計画が進み、パリのドミニク・サブロンと契約しました。その時、日本の統括シェフに抜擢したのが榎本でした。彼には、こういうパンがほしいというものをすべて作ってもらいました。

このバゲットは香ばしいというのもありますが、独立後の彼が自分で考えて、国産の素材でおいしいパンを作ったのがいいなと思っています。今でこそSDGsとか言いますけどね、生産者まで繋がって、安定して作り続けて行ってもらえたらいいと思うのです。日本人が作るフランス料理は、フランス料理の技法で作るだけで、もうフランスの真似じゃないでしょう。パンも一度しっかり基本を押さえたら、やがては自国の、個人のアイデンティティに、自然となっていくんですよね。

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田中保範 /元 銀座マキシム・ド・パリ総支配人 株式会社ONDO代表取締役

1949年 福岡県出身。1973年 ソシエテ・ド・クイジーヌ・フランセーズ入社(同年、マキシム・ド・パリ株式会社に社名変更)。1978年 メートル・ドテル就任。その後レストラン支配人、取締役を経て2004年 常務取締役 総支配人就任。2008年 赤坂に「ル・ブーランジェ ドミニク・サブロン」をオープン。2014年に退社後、株式会社ONDOを設立。社名は「温もり」、「音頭」、フランス語の「波長」に由来。飲食店のプロデュースやコンサルティング、食を通じた地方再生に携わる。

NKC Radar vol.90より転載

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