キュウソネコカミの歌詞に心をつかまれている話

 恋愛は食べ物で言えば肉。どう料理しても美味しくなるに決まっている。

 これは私の好きな作家の言葉だ。彼はけして恋愛のみの物語は書かなかった。材料の良さに頼らず、調理の腕で美味しい皿を出す人だった。
 なぜそんなことを書くかといえば、私がラブソングに飽きていたからだ。
 音楽が苦手な自分でも耳に残っている曲といえば、当然、有名なものに限られる。いくら興味がなくても、日に何度も同じ曲が流れていれば「なんか聞いたことあるな」くらいには覚えているものだ。

 しかし、それらは恋だの愛だのを歌った作品ばかりである。そして、わりと綺麗な歌詞が多い。だって「よくも恋人の私を裏切ったな卑怯者のくそ野郎め」なんて恨みソングなんぞ売れないだろう。しかも私は音楽番組を一切観ないので、耳に入る機会はCMソングや飲食店の有線、番組のジングルに使われるもの等に限られる。したがって、綺麗なときめき、綺麗な片思い、綺麗な成就、綺麗なお別れ、綺麗な思い出が並ぶ。となると、内容はどうしても似る。仕方のないこととはいえ、似たり寄ったりでワンパターンに思えてしまい、いまひとつ音楽を好きになれなかった。


 そこへ、キュウソネコカミの登場である。彼らの曲は、つくづく歌詞が良い。非常に良い。作詞はすべてボーカルのヤマサキセイヤさんが担当しているのだが、何がいいかって、共感を呼ぶところだ。ロックは反骨精神と言われるし、勉強は早々に投げてしまって音楽に没頭してきた人や、見た目もなんだかコワモテな人たちが多い。しかし、キュウソは違う。こつこつ勉強して指定校推薦で偏差値の高い大学へ入学するほど品行方正、楽器の練習もきちんと積む。大方の人間が「よいこ」と思う人々だ。でも、そんな「よいこ」にも鬱屈とした思いがあり、世の中に対して言いたいことはあるぞ、という反骨精神をぶつけるのがキュウソなのだ。


『DQNなりたい、40代で死にたい。』

泣かせる筋書きでしょう。
ついついライブパフォーマンスに注目して歌詞の印象が霞んでしまうがちだけれど、これは闇の深さを感じる。

「あーなんだぼくの人生は小中高と真面目ちゃんで終わり/悪いことには無縁の人生/好きなこと抑える人生さ/大学デビューで音楽漬け、地元のDQNは更生yeah/今じゃ俺の方が不良です、今じゃ俺の方が親不孝です」
 似たような気持ちを味わったことがある。目上の人や規則に従って真面目に生きてきたつもりなのに、校則を破ったりテストで毎回赤点を取っては「ごめん、マキマキ(担任の名前)。見逃して♪」と先生に甘えて「だーめ。再試までにちゃんと勉強しておきなさいよ」とたしなめられる人たちの方が、本当は大人に好かれている。授業中に当てられて「pumpkinです」とそつなく正答する小学生よりも、「カボォチャー!!」と叫んで笑いを巻き起こすこどもの方が人として魅力的。勉強サボってるくせに、大人の言うこときかないくせに、結局はそんな自由な人が経験値を積み、社会に必要なコミュニケーション力や人徳を備えている。勉強以外の世間を知らず、社会に出てから親を心配させているのは自分の方だ。そんなつらさを、ついつい思い出してしまう。直視したくない。お腹が重たい。苦しい。でも、もっと聞いていたい。だめとわかっていても、かさぶたを剥がしてしまう感覚に近いものがある。
 そんな自虐的な歌もあれば、私が苦手にしてきたラブソングもある。これがまた面白い。『メンヘラちゃん』というその曲は、ボーカルのセイヤさんが過去に交際した依存体質の女性との恋愛について書かれた曲なのだが、コミカルなのに作者の切実な想いが滲み出ている。メンヘラ彼女への心配や苦言を散々こぼした後、不意に「この歌はお前のことではないから安心して眠れ」と、特定の聞き手を意識した一文を挟むから、もう駄目だ。

『メンヘラちゃん』

 誤解のないように付け加えるが、この曲はけして「彼女」を馬鹿にしたり、蔑む意図で書かれているわけではない。MVを観てわかるように、この彼氏は彼女から解放されて逃げたいとは思っておらず、むしろ彼女と別れたくないがために尽くしている。彼女のためには死ねない彼氏だが、「酷い女に引っ掛かってしまった」なんて思っていない。ちゃんと好きでいるから、自分の頭の中にいる彼氏像でなく、彼自身のことを見てほしいと語りかける歌詞だ。

 メンタルヘルスについては人の心を無遠慮にえぐってしまいかねない難しい題材だ。しかも、この曲はキュウソの楽曲の中でも「面白おかしいあるあるネタ」という位置づけで、演奏が始まればかなりの盛り上がりを見せる。「的確!」や「わたしの歌過ぎる…」というコメントも多く、過剰な恋愛依存のあるあるについては正確に描けているのだろう。しかも、「つかず離れずメンヘラ」なんて強い言葉を12回も繰り返す。いかにも厳しく叩かれそうだ。

 代表曲のひとつとして人気が出たのは、「依存体質の彼女」と「彼女の行動」を分けているせいではないかなと思っている。「見捨てないとか見捨てるとか重いわ」と口では言うし問い詰めてほしくないけれど、酒で薬を飲むような危険行動をとった彼女を助けようとする。彼女に「とんでもない女」というレッテルを貼って嘲笑うという、ごく簡単な気持ちの落としどころを採用していないのだ。だからこそ、ぎりぎり許される。この危ういバランスの上で成立させた手腕には感心するほかない。

 メーターが振り切れている雰囲気の歌もある。その名も『オーガニック狂いVS添加物お化け』。最高に楽しいのに、ボーナストラックとしてしか世に出されていない。それもそのはず、多方面に敵を作りそうな歌詞なのだ。
「オーガニックしか認めない/添加物まみれ最高/オーガニックしか食べません/安けりゃ何でも大丈夫/どっちも早死に/どっちも早死に/どっちも早死に/何を食べても死ぬ/好きな物食べて好きな音聞いて好きな匂いかいで死ねたらハッピー/後悔無い」
 この短い文の中でかなり強めの毒を吐いているんだけれど、言いっぱなしにしていなくて憎めない歌詞。しかも、なぜか爽やかな気持ちになる。キュウソの良さを鍋でぐつぐつ煮出して、ゼラチンで固めたような名作だと思う。

 ただ面白いだけではない。歌詞の視点が複数存在しているのも魅力だ。
 例えば、『貧困ビジネス』という曲がある。奨学金返済の恐ろしさを皮肉まじりに説いた曲なのだが、よく聞くと「奨学金に殺されそうだ」と嘆く一人称の人物の他に、「金を借りたんなら真面目にやれ/お前らのキャンパスライフは借金まみれなんだよ」と、彼の甘さをなじる神の視点の持ち主がいる。
 この独特な視点がことのほか生きているのが『The band』。ロックバンドの苦労と幸せを語る、キュウソのバンド史のような曲だ。
面白くあり続けるために次々に新しいことを取り入れ、素早く実行しなければ先を越されてしまう。先取りし過ぎれば肩身の狭い思いをし、スピードが落ちれば流行おくれだ。この部分は明らかに作り手目線の苦労である。しかし、だんだんと雲行きが変わる。「すぐそこに生きてる」「音源じゃ伝わりきらない細かい感動がそこにはある」と、ロックバンドを待ち望む側、ヒーローを応援する方の言葉に変ってゆく。ラスサビ前、「新曲ありがとう!」と叫ぶ彼は今、ステージの上なのか下にいるのか、もはや視点が渾然一体となってわからない。

『The band』


 
 書き出せばきりがないのだけれど、少しは魅力を伝えられただろうか。

 彼らの言葉が多くの人に届いていると、ファンとして、とてもうれしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?