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徳ってなんだろね

今日の昼休みの話。
いつもよくお話をする方(Tさん)と昼休みが合い、そこにクールな方(Mさん)が同席。
Tさんはバンドをやっていて、よく楽器とかスタジオとか、練習中に意識することとか話す。
Mさんはねっからのゲーム好きで、特に過去の名作や最新ゲームに詳しい。
会話の流れは、Tさんが自分に問いかけをすることから始めることが多い。
今日はこんな問いかけをされた。

「どうしても欲しいチケットがあって、それに当選したいから徳を積みたいんだけど、徳ってどうやったら積めるんだろう」
不意打ちの問いかけ。
普段あまり考えないようなことをTさんはぶつけてくるから、それに答えるのが楽しみでもある。
それに対して自分は先ず思い付きを答える。
「いいとされることですから、誰かを助けたりすることじゃないですか」と、ありきたりな答え。
でも、大体の場合、思い付きの後で即座に一つの考えが浮かび上がってくる。今日はこんな感じだった。

自分「いいとされることというのは、自分の感情を殺して、誰かを助けるようなこと。それって、大体のことが、自己犠牲の上に成り立っている。自分の時間、お金、知識、経験、そういったものを差し出すこと。それが徳を積むということなんじゃないでしょうか」
Tさん「人を助けるって言っても、いきなり「困ってることある?」とか言ってもおせっかいになるよね」
自分「確かにそういうこともありますね。でも、結果として、自己犠牲に繋がると思うんですよ。あ、Mさんは、徳を積み方ってなんだと思いますか」
Mさん「ジンクスじゃないかな。例えば、自転車での帰り道、無理に走ろうとせずに、道をゆずったりとか。そういえば、ヒンドゥー教で、なんだっけ、一番下の階級の下にお金を渡したりすることが、インドでの徳の積み方なんだよね」
自分・Tさん「へぇ~!」
自分「でも、こうやって、自分だけじゃなくて、いろんな人の徳の積み方の考え方を聞くこと自体が、もう徳を積むことに繋がるんじゃないですかね」

こんな感じの会話。
最初のTさんの動機は、まさに自己の欲求にもとづく「チケットが欲しい!」というもので。それを手に入れるために、徳を積むっていう考え方がすごく面白くて、自分は考えたことなかった。
で、普段考える機会がない、徳の積み方について、自分なりに「自己犠牲」というキーワードを思いつけたのもよかった。
でも、具体的な行動として何か提示できたわけではないんだけれど、何となく、どんなことをしたとしても、結果として「自己犠牲」が伴っているならば、一般論としての徳の積み方と呼ぶことができるんじゃないかなって。
で、Mさんの知識もそうだし、考え方を引き出せたのも面白かった。

そもそも「徳」って何なんだろうね。
辞書で調べればよいのかもしれないけれど、結局「徳」自体がなんなのかはわからない。
でも、「徳の積み方」を先に考えることで、「徳」そのものを考えるってこともまたいいんじゃないのかなって。見えてくるものがあるんじゃないのかなって。

自分はTさんのお話に付き合った。
一緒に考えた。
そして、チケットが当たることを願う。
でも、自分の理論で、Tさんが最も徳を積む方法を思いついてしまった。それはとても残酷なものだ。
Tさんにとって一番の「自己犠牲」は、自分がどうしても行きたいというそのイベントのチケットを諦めて、他の方に席を譲るってこと。
そんなことを思いつき、明日、冗談で言ってみようかなと思ってしまった自分は、徳を積めないかもしれませんね。

ところでトップ画像が何であの画像かって?
鳴門ですよ、鳴門。
え、鳴門って徳島県にあるんですね。
徳島県。島ではないけれど、徳のある島、なのかな。

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