リセット症候群の話。

去年辺りからテレビ等で取り上げられ始めた、現代病(なのか?)『リセット症候群』。
私も慢性的にこれに冒されている。

さすがに現実で繋がっている数少ない友人関係で発症することはこれまで無いが、SNSや推し活では幾度となく繰り返してきた。
現にこのnoteも数回作りかえることを繰り返して今日のこの場に至っている。

どうしてそんなことをしてしまうのか、言葉にすると複雑で難しい感情なのだが一言で言い表すなら

「なんか・・・やりたかった事と違う」
「なんか・・・見せたかった私と違う」

そんな曖昧な思いがきっかけとなって、じゃあ思いきって全部捨ててしまえ!と勢いのまま全てを破棄してしまうのである。


この「なんか」を説明しなければならないと思うのだが、リセット症候群発症に至るこの感覚は本当に「なんか」でしか表せないくらいとても曖昧な違和感なのだ。
とにかく自分が納得いかなくなった時に辞めてしまいたくなる。
例えば漫画なんかであるような、芸術家が自分の作品に納得がいなくてぶち壊すような感覚に少し似ているような気がする。



もう1つは、「なんかこの環境・・・ウザ」と思った時。
特に人間関係が鬱陶しくなったり窮屈に感じた時に思い切って辞めてしまうパターンである。

SNSとは、人と繋がるツールでもある。
だけど、そもそも私は他人と関係性を作り上げたいとか誰かと繋がりたいとかという欲求があまり無い。

まぁ、そんなことを言いつつ友達が欲しい気持ちが完璧に0というわけでも無い。
無いのだが、それ以上にコミュニティの中に組み込まれてしまうと自分のキャラを守らなければならないような気がしてしまい。
それが本当に面倒くさくて仕方がなくて、ある程度関係性が膨らみ濃密になってくると逃げ出したくなる衝動的な気持ちが勝ってしまうのだ。

また、繋がった当初は仲良くできてもだんだんその人を知る中で疑問に感じるような出来事が起きる事もある。
そうなった時に、角が立たないように徐々にフェードアウトして関係を断つことが出来れば良いのだが、私は他人を拒絶することがあまり得意ではなく。
生理的に無理だという気持ちを抱えたまま、結局ズルズルと付き合い続けることになってしまうことが多い。

ある程度の期間我慢し続け。
ある日突然「もうこれ以上、無理。」となったら、なんにも言わずに全部を捨ててその場から脱出する道を選んでしまうのだ。


「リセット症候群」の発症条件は「煩わしさ」なのだと思う。
普段から必要以上に他人の目を気にしたり、他人の機嫌を気にしたり。
本当は他人にさほど興味が無いのに、「自分のせいで不快な思いをされたくない」という信念があるがために他人のために生き続けることを辞められず。 
そんなことを続けて、精神的に疲れ果てた事をきっかけに起きてしまうことなのだと私は自分自身を振り返ってみて思う。
言い換えれば、蔑ろにし続けた自分を守ろうとして起きる防衛反応のようなものかもしれない。


私は出来れば今回はnoteを辞めずにいたい。
私は今回のnoter人生では、これまで以上に許されるところは自己中心的に。
そして嫌われることを恐れずに。
私がやりやすくを1番に考えて、これにてnote内での転生に終止符を打ちたいと思っている。(了)

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