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2021/09/26 親友と死生観が相乗りする日記

親友の楽しい事の話 

最近不運が続く親友とゲームしながら話していた。詳細なことはプライベートなのでそこそこにはしょる。

好きな人のライブに落選/仕事残業しているのにお金がバイトみたいな量/一番好きなバンドはライブの予定が当面ない/etc...

楽しい事がないないで、メンタルがちょっとだけヘラっているようだった。確かに楽しい事がないと、日々の頑張る力がなくなる。そういえば、今読んでる本に書いてあったんだが(冒頭なので良いか)、この世の中の情報は「明日死にたくない」を目標に存在しているんじゃないか、という思考。会話の時に思い出した。言わなかったが。

健康な体や、人間関係。趣味や恋愛に至るまで、明日死にたくないと言う本流から派生した川のようなものだ、と書いてあった。健康な体は文字通り、健康であればあるほど死ななくなるし、良い人間関係があると人生は楽しく死ななくなる。好きな趣味がしたいので、死なないし、好きな人がいたり、その間に子供がいたら尚更死にたいなんて思わない。だろう。

常々思っている事だ。個人的な死生観は、人生は生まれ落ちると、死ぬまで落ち続けているようなものだと思っている。その速度が速いと人生が辛くなるが、緩和する為に楽しい事というフックによって落ちるスピードを遅くさせる。最近楽しくない友達は、ハッピーな日々より死にやすい日々になっている。

頭パーのハッピーマンの方が人生楽しいのだろうが、僕や親友はどう頑張ったって幸せマンにはなる事はできない人種。まぁ個人的には、頭ハッピーマンだって一人になると、深いため息をついているんじゃないかぁとも思っている。

で、まぁ何を滔々と書いてんだよって読み返して思ったんだが、親友の死なない要素に僕は成れてないんだな、と思っている事を書きたい。僕は親友が親友してくれているだけで、とりあえずは明日死なない理由となる。来月遊ぶ予定があるだけで、来週からの仕事だって頑張れる😌。

友達から見た僕は、生死を考えた時に現世にとどまるためのフックの1つに成れていないような、そんな印象を昔から持っている。誰にでも。この親友はきっとライブや推し活の方が上なんだろう。うーん、ちょっと悔しいなぁ。僕のためにも死なないでいただきたい。双方でフックを掛け合っていたらとりあえずはお互い死なないので。...共依存?🤔

なんか、死生の話が普通に闊歩している文章になった。僕は大学で心理学の死生学について勉強していたし、人よりも死ぬと言う事をポジティブに捉えている、故の文章になってしまったようで。別に死生観なんて考えなくても生きていけるので、変に怖がらせてしまったら申し訳ない。

ただ、僕も死ぬしあなたも絶対に死にます。最後の時悔いのないように、そうするだけで人生それなりに楽しい。勉強して思ったことは、それぐらいですかね。話題がころっと変わっている気もします。文章に一貫性を持たせよう。

死なない理由の理想が高いのが人を大変にさせる。趣味が楽しいし、アーティストの新曲が楽しみだし、絵を描くのも楽しい。社会に復帰するのも楽しみだし、新しい人との出会いはとても楽しい。

それでいい。意外と僕は頭パーマンなのかな。

(BGM) she lab luck/THE NOVEMBERS

死ぬほどかっけぇ曲

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