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2022/05/14 BABY BABY

ぶっちから学ぶ幸とか感情とか 

友達と遊ぶ予定を先週の土日に組んだ。今日がその日だったのだが、なぜかその時間に友達は来なかった。いわゆるぶっちだった。

友達はだらしないのだが、人に迷惑をかけると言うことはない。遅れることはあれ、絶対に集合時間前に何かしらの連絡をくれる。そんな子が、集合時間になっても参上しないし、連絡もなかった。

その時点で7割ぐらい、あー、と思っていたんだが、連絡するのも野暮かなって思ってその場で20分待った。来なかった。

ラインで、流石に?」と送り一人で都会をふらつき始めた、ら、すぐにラインがきて激烈怒涛の謝罪文が送られてきた。

結局、明日同じコースを回ることで話はまとまった。僕としては2度手間だったり、遊べる時間が少し短くなる(ライブのため)だったりと、少々デメリットがあるんだが、あんなに謝られたのは初めてだったりと得られる知見と思考もあったのでなんとなく書いていく。

まず、僕は昨日に、明日やね」的な連絡を取ることは容易にできたし、何度も頭をよぎっていた。しかしその工程を今までしたことがない。なぜか。無粋だから。というのもあるが、相手が自分をどれくらい思ってくれているんだろうか?という疑問と不安を検証するために、あえて毎度無言で当日の集合場所に現れる。

もし、前日に相手から、明日ね」的な内容の連絡があると、ああ僕は相手の精神上に存在するんだな、と安心する。勿論当日に参上してくれたなら、覚えてくれている!という気持ちで嬉しくなる。なんともちょろい人間だ。

でも、今回は前日連絡も来ず、集合場所にも来なかった。その時に考えたんだが、来ない方が親密度では上なのではないか?と言うこと。まぁ単純に存在価値が低くて忘れてたわ感が出ている相手、だとか、あーめんご、みたいな感じで謝罪されているならそんな事はないのだが。

猫が腹を上にして寝ているのは安心しきっている証拠みたいなもので、ぶっちする、という精神的弱点が漏れる事は気が緩んでおり、基本的によくない事だが、こと人間関係では緩んでいるぐらいが個人的には助かるし、距離も近いように感じる。厳密には完全に忘れてただけなので、ぶっちほど悪意がないが。

あと思ったのは、あまり怒らないな。そんなに人間に期待していないから、親友だろうと、まぁ忘れるよなー」という感情が大多数を占めている。単純に会えないのが虚しい。

一方、1.2割で少し怒っている。しょうもない人間なのかもしれないが、やっぱり覚えてて欲しかったし、忘れられたと言う事はどうでもいい人間なんだろう、と思ってしまう。…なんか誕生日おめでとう言ってくれなかったやんけー日記でもこんな事書いたな。気分が落ちている時だったり昔だったらこっちの自分が大多数を占めていたので、今日みたいなことがあったら大変だったろうな。

だいたいは怒ってないし、次はやめてね、という感情なんだが、すこし怒っているので何かしらしてくれないかなと思う。なんだろ。握手とかでいいかな。

Songs - 駆け抜けて性春/銀杏BOYZ

心のメンヘラがこの動画見ろって

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