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2021/08/08 あげたまレンチン丼からなる食欲ダムの決壊〜ハレとケのテリーヌ〜

写真はこの前作った漬けマグロと漬け山芋。

あげたまに蕎麦つゆで味付けし、卵とあえて、レンジでチンしたものをご飯にかけて食べた。一味とか振って。

味を想像していただきたい。どうだろうか?

まぁ、美味しい、
が、今日の料理は何か心がざわついた。なんだか、これを食べ続けると人間として堕落していきそうな料理だ、と。

釣られて思い出したのは、ハレとケの言葉だ。
ざっくりいうとハレは非日常で晴れの舞台とかそういうこと、ケとは普段の生活で日常ということだ。

この揚げ玉レンチン丼はどちらだろうか。どう考えてもケの料理だろう。僕の好きな料理評論家(料理人?)の土井先生は、日常の家庭料理はケでええんですわ、と言っていた。そう、だが、日常でケの料理をここ数年食べ続けて感覚が鈍っていたが、ハレがあってのケである。ハレの食事がしたいと思った。堰き止めていた欲がばぁっと流れてきた。

外食はまぁこのご時世だが、たまに行っている。といっても、きっちりした感じではなく、ラーメンだったり...あれ、思ったりお手軽外食もしてないぞ。そうかー、このハレの料理がとても食べたいのは、外食をあまりにも行ってなくて心がスンスンと弱っていたのか、noteありがとう。

ここからは声を大にして言う。最近はコース料理が食べたいと思っている。スープから始まって、野菜食べて、メインを食べて、デザートを食べて、コーヒーを飲みつつ談笑がしたい。コース料理なんて、だらーとしててなんか好きじゃないなーと思っていたのに、最近はそういう時間が恋しい。喫茶店でメロンソーダを飲んだり、サンドイッチを食べたりする時間は、人間にとって必要なんだなーと、文字を打ちつつひしひしと感じる。

食べるという行為が昔から好きだった。
生命活動で一番楽しく多種多様で幸せを感じる。しけたご飯はその後の自分を萎えさせる!と思っていろんなものを食べたり作っていた学生時代を思い出して、このレンチン料理を当たり前のように取り入れている自分が少し嫌になった。

レンチン料理は、毎度同じ食感になることが嫌いだ。調味料やら内容物で味自体は変えられるが、食べた時の食感が同じなのだ。料理って思っているより食感も大事な要因。火を使うと、その時その時の作品に触れるように料理ができる。焦げたり柔かったりと完璧がない。だからこそ、この時間はたまらなく好きだった。

なんでこんな大事なことを忘れていたのか、ぐるっと考えると、やっぱり外食、とりわけハレの料理を食べていないからだろう。外部から刺激される料理を取り入れる、という行動をなんともしにくい世界になったので、その主張をしていた脳はゆっくりと萎んでいったのだろうなぁと思った。すまん。

これで堂々と行動して良いならしたいことがまた増えてしまった。この際お金の心配などせずセララバアド(新感覚モダンガストロノミーなお店)のような料理を食べてみたくなった。睡眠欲の次の日記に食欲の話を書くとは思ってなかったが、小さな偶然で少し気持ちが暖かくなったので、明日は凝った昼ごはんを作ってみよう。

[第5話 メタモルフォス] おわり



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