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2022/03/27 外で何もしないのが好きなんだ

孤独の理由の目処がついた話 

ついに2ヶ月友達と会わなかった。やや過食に逃げ、食べた後はこのデブがよぉ、と内なる僕が表の僕を刺してくる。ほなら立場変わってくれないか。

睡眠と惰性的な土曜日を何のエンジョイもなく過ごして日曜日も午後に引っかかった頃に思った。出かけなきゃ死ぬ。変えのパンツと財布を持って銭湯に向かった。

特別近くにあるわけでもなく、電車で15分ほどのさせていただき、近くの駅から数分、銭湯に着いた。ルパンのように服を脱ぎ、体を洗って湯に浸かる。選択したのはジェットバス。至福極楽、三千世界の甘楽、特に意味はない言葉で飾ってみたが、何と言えばいいのか、ビリヤードでマ芯を着いてわらわらと玉が散っていく時のような感覚、テストで花丸がついたような感覚。圧倒的正しいという意識。

ぶばぶばと泡の城の中でぼーっと考える。何でこんなに鬱々としてしまうんだろうか。毎度の月末陰鬱もあるし、友達と会えない声も聞こえないのもある、が、元来僕は孤独な男だ。一人で行動していたし、一人でゲームしてる方がうん倍も他人と空気を合わせるよか楽しい。

んで、なんか忘れてんなーと静かで黙浴と書かれたポスターを見て思い出す。コロナのカスのせいじゃん。なんとはなしに河原町に行ったり、梅田の歩道橋の椅子でぼーっとするのが好きだったのに、この3年間意味のない外出を本当にしてない。たぶん何回も書いている話題なので悪しからず。

てっきり僕が友達が居ないと雑魚になる病にかかってしまったんだと勘違い、というか決めつけてたけどそんな事はない。外出ソロとインドアソロで保ってたやじろべぇが後者だけでぶっ壊れていただけだった。たぶん。

友達と遊ぶのもなんかな、と思って軽率に誘えなくなった。映画行くのもなんかな、と思ってしまう。オブラート1枚全ての食事に挟まってるような感覚。今も思っている人間はもしかしたら僕ぐらいじゃなかろうか。普通に外出する老若男女。デートするカップル。喫茶店でmacを触る人たち。この人たちはコロナ時代という膜を破って行動しているのか、ありつつも行動しているのか、まずまずそんな膜はなかったのか。

マスクしていたら普通に出かけて良いような時代にいつの間にか世間はアップデートしていて、僕だけが浦島太郎なのかもしれない。そう思う一方、やっぱり外出はなぁと、なんとなくのナンセンスに圧殺されている人もいると思う。えぇと外に出てもいいのか?不要不急じゃなくても?

なんだかむかむかしてきたので、お湯から上がると無駄なことをし始めた。河原が綺麗にされていたのでアイスを片手にぷらぷら歩いた。楽器を弾く人、足まで水に浸かる学生たち、鴨に餌をやるおじさん。今までは不要不急じゃないんだろうな、と思っていた景色だが、いやこれ不要不急だな、と思った。

出かけている事に怒っているのではない。それは当人の自由意志だし。良いんやな?という考えが近い。例えば全国民が2週間全く家を出なかったらこんな雑魚ウイルスのために口元を隠す世界を淘汰できる。それをしないのは出かける人間を縛る法がないとか色々あると思うが、根幹にあるのは自分ぐらいはいいじゃん、だと思う。自分ぐらいは、の連鎖が大何波だったかの襲来だしもう一生終わらない気もする。

ここで3年間我慢していた20代の男こと僕が、まぁもう自分ぐらいいいやろ、と外出を解禁する。僕ぐらいの自制心の人が社会という抽選ボックスの中に入る。当選確率がまた上がる。それだけのことか。後遺症は怖いけど。

さーすがに限界だ。そんなに羽目は外さないが外出を解禁すると思う。とりあえず、ずっとしていなかったメガネの調整に行った。やっとメガネが綺麗になった。

インドアソロの上質な部分である、友達との会話でもって、アウトドアソロの場所を埋めようとしていた。それが最近の陰鬱の理由だととりあえず仮決定しておく。質の悪いアウトドアと質の悪いインドアで天秤が釣り合っている状態が僕のフラットなのであって、友達が入る上質なものはもともと数ヶ月に一回だったような気がする。

だれが悪いでもない。自分が一番可哀想だとも思わない。けれども、なんと言えばいいんだろうか。虚しい世界になったなーって思う。靴の中に小石があったり、口内炎があったり、スマホの画面が少しかけていたり、深爪だったり、雨が降りそうだったり。そんな小さな因子で僕の中の楽しいは質を落とす。マイナスのデバフがかからない世界にいきたい。

Songs -Hills Have Eyes/ POORSTACY

かっこよー

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