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羊の権威主義

民主主義が正しく機能せず腐敗していくというのは、為政者に問題があるといえばまあそうだが、それ以上に羊たちに問題があるともいえるのではないだろうか。

この世界が仮に理想的な平和な世界になったとしても、羊たちがそのままならいずれ腐敗し、崩壊する。

羊を増やしたのは闇の勢力の陰謀だといえば、それもまあ、そうなんだろうけれども、羊ではない自律した人間が絶滅してしまったわけではない。自分で考えることができる人間は相当数いて、じゃあそんな人間たちは迫害されてきたのかといえば、そうでもないのではないだろうか。

ワクチン射ちませんと言う私も、迫害されてはいない。職場によっては迫害されたかもしれないが、そんな職場ばかりではない。射つのか、辞めるのかと、二者択一を迫られた話はよく聞くが、それを迫ったのは職場の経営者や管理職であって、彼らが闇の勢力かといえば全然そんなことはない。せいぜいが羊だ。

果たして、闇の勢力が羊を育てたのかどうか。もっとも、テレビというバカ製造機を乱造して圧倒多数をバカ(羊)にしたということはあるのだろうが、テレビの発明が闇の勢力によるものなのかどうか。そのへんも、ちょっと違うように思う。

テレビ以前には、ラジオがあり、それ以前から新聞があった。しかしもっと前には新聞もなかった。新聞もなかった時代でも、バカ製造システムはあったのかもしれないが、それが全て闇の勢力によるものなのかどうか。よくわからないが、違うんじゃないかと思う。

羊が先か、闇の勢力が先か。卵と鶏のようなもので、どっちが先でもないともいえるのだが、どっちかといえば、羊が先なのではないだろうか。

神と民でもいい。神をどう定義するかにもよるが、もし神が愛(生かし)であるなら、旧約聖書にある「神」は人の生殺与奪権をもっていた、つまり、人を奴隷としていたというから、本当の神ではないと見るべきだろう。

【万物を生かす意志】=【愛】そのものを、神だと見るべきだろう。だから、神が人を生んだことになるのだが、人は神の意志をそのまま引き継いで、愛に生きることでこそ人たり得る。これが原則だと信じる。

この原則から外れる者、大きく外れる者、さらに正反対である者、これらを毒物であり、がん細胞であると見れば、それらを治療したり排除したりする手間を惜しんでは、人たり得ない人が増殖してしまう。

羊であっては善悪が曖昧になる。羊であっては、神の意志を理解できない。羊たちは、容易に愛の反対を行い、悪に染まる。

腐敗した聖職者が存在するのは、羊たちが権威にひれ伏すせいだ。ローマなら、教皇を頂点に序列があって、上へ行くほどに権威が濃くなり、腐敗を隠蔽しやすくなる。しかし一番の問題は、羊たちが権威にひれ伏すことだろう。

人が人たるには、あらゆる権威を何とも思わないこと。これが必要条件だ。

民主主義や教会の腐敗は、どちらかといえば羊のせいであると私は思う。

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