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なんかツインレイ記事が読まれている件について

おはよう。スピリチュアルネイティブのタケルです。

ツインレイって、やっぱり人気コンテンツなんだね。記事は全然スキされないけど(笑)、読んでくれている人が結構いるんだなあと驚いてる。

まあ、もはやツインレイって恋愛のスペシャルウエポンみたいな立ち位置になってるもんな。例えば男女の出会いを効率的に設えてくれる出会い系アプリが流行るのと、実は似たような理屈の概念、と思ってる。

だって、運命の人がもしいるのなら、その人にさっさと出逢えたほうが話が早いじゃん。

運命の人以外との出会いなんて、ショートカットした方が効率的じゃん。

っていう理屈が成り立つから、だからみんなせっせとツインレイ体験談とかアドバイスとかを求めて、結果いつまで経っても自分の意思がどこにあるか気がつけなくて、いつまでも彷徨うことになるんだろうなと思う。

もちろん、俺自身にも、そういう戸惑いとか迷いとかが全然ないわけじゃない。正直たくさん苦しんだし、泣いたし、眠れなかったり、ため息ついたり、そういう時間をたくさん過ごしてきた。

だけどそれが恋愛だから。相手が魂の片割れだろうがなんだろうが、右往左往しながら怖がって、何が正解かわからないまま進むのが、恋愛だからね。

恋愛って、他人の経験談が通用しない世界なんだよ。教科書なんて作れない世界。

惑いながら、自分なりの感性と感覚で進んで、痛い思いもしながら、進むしかない世界。

例え「風の時代」がこようが、宇宙時代が来ようが?(つかなんで時代が「くる」ものだと思ってるのかよくわかんない。時代は「作る」ものでしょ)

恋愛は、恋愛だよ。相手が誰でもツインレイでも魂の片割れでも、恋には法則も、これをやればショートカットみたいなものも、存在しません。なぜなら、その経験丸ごと、全身全霊で打ち込んでこそ感じられるものだからです。学校のテストとか就活とか違うものなんだよ、根本的に。

なのにツインレイ提唱者たちは、あたかも法則があるかのように見せて、せっせと同じようなことを手を変え品を変え発信し続ける。彼らも良かれと思ってのことだ。だから、彼らを責めることはできない。何より彼らは本当に良い人たちだ。本当に愛を信じて発信してる。それ自体は素敵なことだよ。

ツインレイという居場所を作り、与えてくれる彼らに対して、俺も、ありがたいと思う心がある。それは俺自身も否定しきれない。

でもちゃんと聞き分けようよ、あっちも商売なんだって。ツインレイはもはや、商売を通して、本質から離れた概念がインターネット上を一人歩きしてる、亡霊みたいな概念に変質しちゃってるんだって。

それは彼らがどうとか以前に、もはやインターネットの宿命でもあるんだって。

よく考えてみなよ。地球が統合するために、ツインレイたちが統合することが不可欠、みたいなストーリーが蔓延してるみたいだけど、それは誰の意思なの? 宇宙? 地球? あなた自身? ツインレイ提唱者たち?

そんな他人からもたらされたストーリーを生きることに、何の意味がある? そんなものを通して誰かを愛せるなんて、本気で思ってる?

そうじゃなくて、ちゃんと訳がわからないものと向き合って、ちゃんと孤独になった方がいい。方法論も何もわからない中を、怖がりながら進んだ方がいい。そういう暗闇の中で、自分の意思という灯火をしっかりと見つめた方が、絶対にいい

ツインレイ概念にどっぷり浸かる人たちは、はじめから成功を求めすぎ。結果にしがみつきすぎ。失敗を恐れすぎ。自分の殻に閉じこもりすぎ。保証がないと動けない、羊ちゃんすぎ。

自分の人生という無限の可能性を、誰かが限定した「時代」とか「宇宙」みたいな、一見デカくてその実せこい概念の枠の中に、ぎゅうぎゅうに収めちゃってる。

そういう自分を、本当に愛せる?

俺はそんなせこい自分を愛せない。

そして、そんなせこい相手を、俺は愛せない。

だから思うがままに行動して、失敗してんのか成功してんのかもよくわからないなかを、転がるように歩いてる。

もし、あなたが運命だと思う人と出会ったら。魂の片割れと出会ったら。


書を捨てよ、旅に出よう。


潔く泥に塗れましょう。

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