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シンクロに意味なんてなくてもいい 〜夏至の沖縄を超えて〜


こんにちは。スピリチュアルネイティブのタケルです。

梅雨本番ですね〜。毎日湿度と気温が高くて、エアコン嫌いな俺は汗だくで仕事してます笑

このブログでも何度か書いてきたんだけど、都合6年も続いた前世タイム、もしかしてピークを過ぎたんじゃないかな?とちょっとそわそわしている。

そもそも俺の前世の記憶が開きだしたのは、実は沖縄のとある聖地を訪れたのがきっかけだった。厳密にはそれより5年前から、もっと無自覚な感じで記憶がでてくることはあったんだけどね。(それが前世って知らんかっただけ。なんかビジョンが見えるし感情もすごいけど、なんだこれ?って思ってた)

でも沖縄を訪れた時は、より鮮明に、はっきりと思い出した、って感じだった。そこから怒涛のように記憶が噴出するようになり、なんか今思い返しても、よく生きてたよな〜って感じ。てかよくあんだけ大変な思いをしながら、仕事とかしたよなあ。

特に最初の1年は、常に軽い神経症状態で、不安定だったし、前世の記憶が出てくるしんどさと、それに向き合う大変さで、結構どうにかなりそうだった。

でも、それでもさ、もっと辛かったことがある。それは、

前世の記憶と対峙している自分と、社会人として働いている自分を両立させること! こっちの方が何百倍も辛かった!笑 てか両立できてるのかわからん! いまだに!

もし俺がユングみたいに心理学を専門にして働いていたり、沖縄のかみんちゅの友人らみたいに、そもそも前世や意識と近い領域を専門とする仕事や、社会的アイデンティティを得た上で、前世を通した自己探究をするのなら、社会人としての自分と生身の自分とのブリッジは、それほど困難ではなかったと思う。少なくとも彼らには同質コミュニティがあるわけだから。

でも俺は社会人としてはふっつ〜の仕事人で、有り余る霊感だって仕事をする上では、使えるスキルというより、トゥーマッチな能力、って感じだった。

だから俺の中では、ずっと、本来の自分を生かした社会生活ができてないな、という思いがあったんだと思う。その度に、スピリチュアルティのある人なら誰でもそうなるように、霊能を生かした仕事をしてみようか、考えたこともあった。

でも考えるたびに、いやだな、それはしたくない、て思いの方が強かった。それがどうしてなのかずっとわからなかった。だから作品づくりに精力を注いだ。そうやって自分をたもってたんだと思う。

沖縄で開いた扉、さらにその向こうへ

話は変わるけど、今年の夏至ごろ、久しぶりに沖縄へ行ってきたんだ。俺は、前世の記憶が開いた沖縄という場所を再訪するのがどうしても嫌で、ずっと沖縄からは逃げ続けてきた。でも、ここ1年で出てくる記憶と痛みを解消していくうちに、いよいよ沖縄に行かねばならん、という流れが来てしまった。

キテシマッター

俺はいくつかの島を巡った。そして、とある島の拝所を通りかかって、ノロの人たちがお祭りしているのが見えた。ちょうど終わったところだったので、俺たちも拝ませてもらうことにした。

俺はそこにいた聖なる存在たちといくつかの言葉を交わした。そしてノロのおばちゃんとも色々話した。おばちゃん曰く、俺たちがたまたま訪れた日は「グングワゥチウマチー」と言って、琉球以来、沖縄の数ある行事の中でも、最も大切な日だと教えてもらった。

「こんな大事な日にあんたたちはここにきた。その意味を、あんたはわかってるね?」

俺は頷きながら、一方で心の中でこう思った。

ありがとうおばちゃん。でも俺には、ここに来た意味なんて、なくていいんだ。

そこに、因果律なんていらない。ただ、今の状態の俺が、この土地の聖なる存在たちの状態と、共時性を持って引き合っただけ。

俺は、もう何の「意味」にも縛られたくはなかった。縛られてきた「意味」から、この6年間、必死で対決してきた。それは無意識との対決だ。

その後、俺は聖なる存在たちと共に、いくつかの拝所を回った。そして、彼らは再び、元の拝所に戻って行った。俺はそこで、彼らにさよならを告げた。

なんか知らんがすごい泣いた。


あれから半月以上が経って、ゆっくりと、何か新しい季節が自分に巡ってきたのを感じている。といっても、沖縄から帰って直後は、軽い虚脱状態が続いた。数日は、自分が誰なのかよくわからない感じだった。それを整理していくと、やはり「社会人としての自分」と「霊能な自分」のアイデンティティがいよいよ混乱して、これをどうやってまとめて行ったらいいのかわからない、という感じだった。

それでも静かに日々のことをこなしていくうちに、これまでにはなかった、全く新しい感情が湧いてきた。それは、

母と向き合い、亡くなった父と向き合い、先祖たちと向き合い、50人以上の前世の記憶と10年以上をかけて向き合い、解消し続けた今の自分だからこそ、

自分と同じように、懸命に「自分と向き合う」人の、お手伝いがしたい。そんな思いが、不思議と湧いてきた。これほど自分と深く向き合い続けた自分なら、納得いくまで自分を癒してきた今の自分なら、それを行うに値するのではないか。

俺が社会で活かしたいのは霊能よりも、自分と向き合う力と、それをしてきた経験だ。

もちろん、自分と向き合うことは一生物だし、これからも前世の記憶は出てくるだろう。けれど、否応なしにそこに取り組まされるような、強制的な時間、ピークが、やっと過ぎたように思う。

いずれ何かの形で、何より自分にとって納得のいく形で、やっていけたらなと思っています。

読んでくれてありがとう。

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