人の承認欲求を笑うな 「承認欲求とスピリチュアル」(1)
おはよう。スピリチュアルネイティブのタケルです。
雨が降ったから桜が心配だったけど、咲きたての頃は花びらが強いのか、まだしっかり咲いてる。なんて綺麗なんだろう。
ところで、前期のドラマで俺は「不適切にもほどがある」を観てた。久しぶりにハマっって、すごく楽しかったんだけど、ドラマの中で、何気なく使われていたある表現がふと気になった。
何話か忘れたんだけど、ある大御所の脚本家に対して、あるテレビ局員の女性が「あの人、承認欲求の化け物だから」と影口を言うシーンだった。まあ、日常でもよくある場面なんだと思う。だから何気ないドラマのセリフにも出てくるわけで。
俺は全くこのシーンに対する批判がしたいんじゃない。ただ、俺は何気なくこのシーンを見た時、確かに会社員時代、身の回りの人が、ドラマと同じように「あの人って、承認欲求すごいよねw」みたいに影口を言っていたのを走馬灯のように(?)思い出していた。当時、SNSが流行り出したこともあって、俺も結構Twitterとかやってたんだけど、それを見た上司から「タケル、承認欲求すご!」って笑われたこともある。
そして、今も当時も俺は、同じことを思った。
承認欲求って、すごく大事な欲求じゃないか?
と。
誰かに認められたい、承認されたい気持ちって、誰にでもある。親でも友達でも上司でも社会でも、なんなら近所のペットにだって。(犬にプイッとされると俺は何故かすごい凹む)
むしろ、そんな欲求を持たない人っていないんじゃないか?と俺は思っていて。その、他人の承認欲求がSNSによって可視化されやすくなったってだけで、今も昔も、そんなに変わらないよなあ。。。と俺は思うんだ。人類の普遍的な欲求であり、決して否定すべきものではない、と思うんだよね。モチベーションにも繋がるし。
ただ、確かに、SNSで「認めて認めて!」と言わんばかりに、スイーツとか旅行とかファッションとか仲間とか、アップしてるのを見続けてしまうと、「なんかもう香ばしいから!」ってなる気持ちはすごくわかる。あの、デバイスから生クリームの匂いが漏れてきそうな感じね。それも、わかるんだけど、いまいちわからないのは、
それをやってる人をわざわざ否定しちゃうモチベーション。
てか、人の承認欲求を嘲笑うって、どこからくる笑い?
それって、本当は自分が認められたい気持ちに、蓋してるから、他人のダダ漏れ具合見て、見下したくなっちゃうだけじゃないの?
と、俺は思うんだよね。
俺も見下してた一人
さて、何を隠そう、かくいう俺にも、人の承認欲求ダダ漏れ状態を見て、内心「よくここまでやれるよな」って、人を見下してしまった覚えはあるんだ。
俺の友人に、幼少期から家庭環境に恵まれなくて、その分すごいハングリー精神を持った奴がいて。そいつは下町育ちで、ラップとかがすごい好きなやつ。俺たちは20代の頃に、業界が近かったこともあって仲良くなったんだけど、そいつはちょっと有名な誰々さんと飲んだとか、今度こんな仕事をするんだとか、ガンガン喋る奴だったし、尚且つ、それをガンガンSNSにもアップする奴だった。
俺は、今思えば羨ましかったんだよね。そいつが、有名人と遊んでるとかかっこいい仕事してるとかそういうこと以上に、それを潔く自慢できちゃうところが。認められたい自分を、正々堂々表現できるそいつに、密かに嫉妬していたんだと思う。
しかもそいつは30代になるまでに本を一冊出すのを目標にしていて、見事実現させたんだ。
俺は、そう言う目標を言葉にするのも恥ずかしくて、だけど叶えたのを見た時は、純粋に「すげえ!」って思っちゃった。
だから俺は、人の承認欲求にざわっとしたら、俺が俺の承認欲求に蓋をしているからかも、と、自分を見直すように心がけてる。
そんな話を、ふとパートナーのモモにしたら、
「そもそも何でタケルくんは、そんなにも自分の承認欲求に対して、敏感というか、自覚的じゃなくちゃ、って思ってるの?」と言われてちょっとハッとした。
俺自身が自分の承認欲求に対して、敏感に、かつ自覚的になるようになったのは、このスピリチュアルな体質が、実は大いに関わっていたんだ。
それについては、また次の機会に書きたいと思う。
続きます。
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