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感情が死に続けていた自分の「幸せの定義」

今回も忘備録的な記事。

最近いろんな方とメンタル的な話やマインド的な抽象度の高い話をする事が増えた中で、そんな話をする中で

「自分にとっての幸せとは」

と考えることが多くなり、そこがある程度見えてきた。

結論、自分にとっての幸せの定義とは

感動の総量=感情の振れ幅 ✖️ 感動の出会う数

であると定義した。


こう思ったキッカケを順を追って書き綴っていこうと思う。


・貧乏
・ブサイク
・根暗
・勉強できないアホ


この世のマイナス要素を全て抱えた幼少期からのスタートだったので、ずっとフェーズに応じた「〜があれば幸せになれる」というのをずっと抱えて生きてきた。

たとえば中学生時代は、家庭が貧乏で小遣いもなくお金というものを一切もてない極貧生活をしていた。
当時はお菓子が死ぬほど大好きだったので、「好きなお菓子を好きなだけ自由に買える事ができれば幸せになれる」と思っていた。

中学時代はネトゲで転売活動をしてお金を稼いでいたので、中3ぐらいにある程度それが叶ってみたら、対して幸せを得られなかった。


高校になりモテない人生を変えるべくブサイクな自分に向き合ってとことん変わることができ今に至るが、ある程度は幸せにはなれたが完全な幸せとは言えないものであった。

次に社会人になり、ファッションが好きだったので、「好きなブランドを好きなだけ買えるようになれば幸せになれる」と思っていた。

叶ってみたら、モノが手に入るだけの生活は何も満たされなかった。

女性に沢山好意を抱いてもらうことができる今の現状も、本質的な幸せを自分は得られなかった。


好きなだけお菓子を買えるようになっても

好きなだけブランド物をある程度買えるようになっても

人から称賛されるビジュアルになっても

女性からモテるようになっても


本質的な幸せはどこか得ることができないようにずっと感じていた。

ただ最初の最初の何もない状態と比べるならば、この上なく幸せに近づいた状態ではあったと思う。


お金、ブランド、ビジュアル、それを用いる事で出会える「感動」にこそ、自分にとっての幸せがあったと思う。


話は変わるが、自分はここ30年近く、ずっと感情を殺して生きてきた。

生い立ちのキッカケから、自分の感情を出すことがずっと出来なくなっていた。

家庭内で感情を出せば、兄弟にいじめられる。
学校で感情を出せば、いじめられる。
会社ではうまく立ち回れずポンコツだったので、自分の意思を外に出せない。

全ては自分のせいであったが、その生活をずっと続けていたことで、生きながら、心が死んでいた生活をずっと続けていた。

ただそんな生活から上記記事のような原体験があり、自分にも感情というものが30年目にしてようやく芽生えた。

感情が動くようになってから

素直に感動ができるようになった。
素直に喜べるようになった。

多くの顧客の人生のキッカケに立つ仕事をする中で、沢山のライフスタイルの変化が訪れた話を顧客からしてもらえる。

彼女が出来た。
幸せにしたいパートナーと出会い結婚をした。
自分という人間を肯定できるようになった。
自信を持って毎日を生きれるようになった。


ビジネスにおける価値とは、顧客の変化の振れ幅であると思っている。

この大きな振れ幅を顧客にもたらし続けられるようにする事。

そんな価値を提供できる自分であるべく研鑽し続ける事。

その数をもっと増やしていけるようにビジネスを展開していく事。



自分はモノが手に入れば、ビジュアルが良くなれば、モテれば、幸せになれると思っていた。

それだけでは幸せが手に入らなかった。


死に続けていた感情に火が灯った時に

・感動に出会い続ける事
・変化振れ幅の大きい大きな感動を創り続けていく事
・その数を増やすべくビジネスを発展していく事

これこそが自分の幸せであるのだと定義をする事ができた。


あなたにとっての幸せとはなんだろうか?


「条件」を手に入れても幸せになれない現実があるなら、当記事から少しでも何か感じ取れるものがあってもらえたら嬉しいです。


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