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13日の金曜日が来るたびに思うこと を今書く意味

#みんなの卒業式  の話題と、最近知った乃木坂の「13日の金曜日」という曲がつながり、5年前の記憶が思い出される、、、、


今年はコロナの影響で卒業式が中止・縮小になってしまうところが多かったという。

自分は当事者ではなかったため(誤解を恐れずに言うと)中止・縮小になろうと実生活に影響はなかったし、無関係とは思ってた。ただ、自分の住む大阪府の中学校の卒業式が3月13日、それも金曜日。


ふと自分の中学の卒業式を思い出した。

自分の卒業式もそういえば3月13日の金曜日だった。


出身は北海道で、高校まではずっと北海道で育った。卒業シーズンに桜を想起する日本人のDNAは北海道では変異し、べちゃべちゃの雪の中登校し、校長が「春の訪れがだんだんと近づいています」と式辞を述べることには誰も突っ込まない。

........というようなことは思い出せるものの、卒業式で具体的に何があったとかはそんなに思い出せない(上で思い出したとか言ってしまったが「ふと」なのでw)。

ただ、1つだけ明白に思い出せることが。

それは、卒業のタイミングでみんなが書く(書かされる)両親への手紙の一文。

「義務教育を終えましたが、義務教育ではない高校生活を全うすることを自分の義務と捉えて頑張っていきます」

おそらくあえて高校から地元を離れて下宿生活を行うから、中学にしてこんな「義務」とかいうかっこつけてイキった文を書いてしまったのだろうと今になって思う(可愛げがない)。けれども、「高校生活」を「大学生活」に置き換えて今20歳の自分が語るとなると事情は違う。

大学が義務教育でないことはもちろん高校と同じ。けれども、高校が大学への通過点と捉えるのが当たり前なのに対して、大学はゴールに成り下がってしまう。高校の頃はあれだけ目の前の目標に向かって毎日を血眼になって全うしていたのに、今となってはどうか。大学卒業単位をそろえること自体が目的となり、目標を見失っている。大学で人生が終わるならまだしも、大学の先を考えるとなると、手段が自己目的に堕した生活は「全う」しているうちになるのか?

そんなことを春休み中ずっと考えていたが、コロナで春休み延長みたいな精神状態が続く中でまだ考えている。いや、キャリア形成に関することだからこれからも考え続けるテーマとなる。

「高校生活」や「大学生活」の部分を「就職後」や「20代」や「人生」に置き換えて考えることで、実はもっと自分は主体的に生きることができるのではないかと、主体的に生きるべきだと自分を鼓舞することができるのではないかと。


13日の金曜日が来るたびに思い返すことだろう。13日の金曜日が訪れるタイミングは暦から想像するにそんな遅くもなく早くもないだろうからそれはそれで自分を振り返る上では好都合(笑)。

「義務教育を終えましたが、義務教育ではない大学生活を全うすることを自分の義務と捉えて頑張っていきます」





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