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5人に1人と言われるHSPについて (良記事シェア)

子供の頃から、自分が人とどこか違うんだろうなぁということを自覚していました。
昨日は”自分と人が違うと思うのはエゴですよ”と書いたのですが、そう言った『みんな対等に美しくすばらしいんだ』と言った存在レベルの話ではなくて、特質とか特性の部分でです。

今でも思います。
正直なところ、扱いづらいし、人とおんなじってできないし、刺激に敏感なのでずっと誰かと一緒にいるって結構難しかったり、一点集中型なので広く浅く付き合うってできなかったり。

かと言って自分が行うことについて、相手がどう思ってるかがすぐにわかってしまうので、罪悪感を持ちやすかったり、とにかく疲れやすい部分があるのでできることに限りがあり、その範囲内でやっているとだらけていると思われてしまったり、とにかくとにかく生きづらかった。

子供の頃から敏感で、矛盾やおかしいことがすごく目についてしまう。
だから、正統性のない一貫性のないことを言う大人が大嫌いだったり、人の二面性が受け入れられず、過剰に苦しくなる。

高校生の頃に友達にあることを言われてすごいショックを受けたのですが、それは『よく言えば繊細だけど、悪く言えば傷つきやすい』でした。苦笑

私はHSPのうちの、HSS(刺激探求型:やりたがり刺激欲しがりなのに、やたら傷つきやすい)です。
だから能動的なところはすごく能動的なので、余計に「できるじゃん」と思われているので、疲れてしまったり、矛盾を感じると動けなくなった時に誤解される。

自分としてはそうやって休むことが逆に自分を活かすことでもあるし、自分を大切にすると言うことなのですが、まだまだ理解は得られていないなと感じます。

そんなHSPの気質について書いてある良記事がありましたのでシェアします。

↓↓↓


私が自分のことを『厄介者』と感じてきたのは、このHSPによるところがとても大きいと思います。2度も鬱になったのも。

そして、今でもそうですが、満遍なく、やバランスをとると言うことがとても苦手(よく物事を忘れるし、意識から外れるのです)なのですが、感情やエネルギーと言った流動的なことや自分の得意とする分野においてはぐぐーーーーーーっと入っていける。そしてそれを何年もやり続けられると言うのは強みだと思います。

こう言った人というのは、今までの社会で良しとされてきたところから外れてしまう人たちです。今まではマイノリティで肩身の狭い、弾かれてきた人たち。
でも感性豊かで活かすことができればとても才能を発揮する。
これまではそんな人たちを受容して、輝かせることができる社会ではありませんでした。

その今までの価値観での社会が立ち行かなくなってきているのを見て感じることは、こう言った人たちが生きやすい社会こそが、今の様々な社会課題を解決する社会なのだろうということ。

今までは強者が弱者を切り捨ててきた社会でした。
でもこれからは今まで弱者の立場だった者こそが輝ける社会になり、それが全体にとって最適な社会になる。

それはつまり人間らしくて、身の丈にあった、真っ当な、地に足のついた社会。
「もっと、もっと、別のものにならなくては!」ではなくて、「すでに私たちの中には素晴らしさがあり」「そのすでにある輝きをもっともっと活かしていく」「皆が発揮していく」社会。
優しくて、幸せな社会。

そして、そのことに気づいて動きだしている人たちが出てきているのが、今だと思います。

こう言ったマイノリティが輝ける社会こそが、マジョリティをも含めた全体を幸せにする社会だと思っています。

そんな社会に近づくために、今まさに苦しんでいる方々へ、自身の経験や知恵やスキルを持って貢献させていただいております。

これが自分の使命だなと感じています^^


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