交わらなかった人達がいる場所、VRChat

 VRchatという、なんかメタバース的なものに触れています。それについての資料と、私の所感が必要になったので。

 このタイトルはもしかしたら誤解を招く表現かもしれないが、私にとっては本当に文字通りの場所だった。もう大学4年生にもなり、学生のうちに覗き見れる”社会的なコミュニティ”のほとんどに属したつもりだが、ここにいる人たちは、自分がそのコミュニティの中で交わらなかった人々が多くいる場所だと感じるのだ。この場所に定着している方々にとっては、学校やバイト先で交わった人たちがここにもいるという感覚なのかもしれないが、そこについてはまだ聞けていません。
 この空間を覗き見していると、人生でほとんど感じたことのない感覚を持つことがある。それは、なんか入りづらいな~みたいな感覚で、要は輪に入りづらいだとか、話しかけにくいだとか、そういったもの。私は、社会的なコミュニティにおいて自分から話しかけるということが何の障壁にもならないタイプである。話しかけなくても、コミュニティ内で気がついたら同じ時間を共有する諸個人のグループが形成されていたような記憶がある。それでも、このVRChatという空間では、なんか合ってない感じがするのだ。そして、数名の方とお話ししていくうちに何となく思ったのは、この空間を楽しんでいる方とは、私は交わってこなかったのではないか?ということ。(お話しした方々と、その方から聞いたお話だけの少ない部分から感じただけだが)生活していれば、関わりが深くなる人とそうでない人はおのずと生まれる。そのそうでなかった方々のコミュニティにお邪魔しているという感覚がどこかにあり、それが前述の入りづらさを”形”にしているだけかもしれない。
 それでも、「この空間は凄いな」ということも感じた。ここは明確に社会的なコミュニティになりつつあると思う。ここから諸個人のコミュニティができることは必然だし、時の流れによる強制的な卒業は恐らくないだろう。学校よりよっぽどコミュニティとして完成された場所なのかもしれない。まあ、もっとメジャーで、現状の何千倍という人口になってしまえば今の空気感は失われるだろうが。ただ、それは起こらないだろうな~とも思う。私が、「交わらなかった人々のコミュニティだ」と感じているということは、私と長く関わって来たような友人たちもそう感じるのだろうと想像できるし、その中で、私と同じように、合っていない場所なのかもしれない、という感覚を覚える人もいるだろう。私のような人間と、この空間を楽しんでいる方々との間には、相互理解が難しいような部分があり、互いに選り好みして過ごしてきた結果が、暮していく場所の違いになっているのだろうから。
 ただ、私は歓迎されていないわけではない。むしろ、話しかけてくれる人もいるし、定着できるように土台を組み立ててくれる人がまだまだいるのかもしれない。この空間を楽しんでいる人たちのことに興味があるし、この人たちについて知ることは、自分のためにもなるだろう。だから気が向いた時に遊びに行くことにしようと思う。VRchatの殆どを理解していないが、人と話すことくらいならできるはずだから。


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