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◯◯した祭り

藤崎八旛宮の秋季例大祭の
夕随兵を夫と一緒に観に行った。
夫が関東育ちで一度も見たことがないと
言っていたからだ

この祭りはもともとは放生会という
仏教由来の行事だ
一度捕まえた生物を野や海へ放し
無益な殺生を戒める宗教儀式で
明治の神仏分離で放生会の方は
藤崎八旛宮ではやらなくなってしまった
(福岡の箱崎宮では今もある)

この祭りには呼称問題が付きまとう。
「ぼした」が「(朝鮮を)滅ぼした」を
語源としている説があるからだ

だが本当は
「(朝鮮)滅ぼした」が語源ではない
そもそも日本は朝鮮出兵で
李氏朝鮮を滅ぼしてない
日本側は領土すら得られなかった

明治初頭の1870年に
藤崎宮宮司が記した大祭記録で
「暮暮志汰、即馬追言葉」とある
「ぼした」ではなく「ぼぼした」
「ぼぼ」とは九州ではセックスを表す言葉だ

松江藩士桃節山も1865年の旅行記で
「その囃子にはボボシタボボシタと申也」
と書いている

無益な殺生を戒める放生会で
「(朝鮮を)滅ぼした」はありえない
むしろ「ぼぼした(そして子孫繁栄)」
が本来の語源だろう

性崇拝や子孫繁栄を願う神道と
無益な殺生を戒める仏教が
融合した祭りだったのだ

その証拠に飾り馬を見て欲しい
馬の上に乗っている太い紐で出来た飾りを。
あれは金玉と男根の形をしている
今はなくなったがかつては
女性器を模した飾りもあったという


ではいつから「ぼぼした」が
「(滅)ぼした」になってしまったのか
1928年9月14日の九州日日新聞で
隋兵頭を務めた在郷軍人会会長は
「ボシタは敵国を攻め滅ぼす」
意識と書いている。

おそらく戦意高揚のために
言い出したことなのだろう

だから呼称問題は
「ぼした」という呼称を使わず
「ぼぼした」に戻せばすべて解決だ
掛け声も
「ぼぼした ぼぼした 子孫繁栄 弥栄弥栄」
とかにすれば良い

性崇拝というのは言い方を変えれば
「いのちの宗教」である
生命を生み出すから
男性器や女性器を祀って敬う

いつの時代も下々の者にとっては
平和で子作り、子孫繁栄が1番なのだ

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