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ツギハギだらけの思い出

こんばんは。娘という新キャラが我が家に加わって以来、何かとバタバタしっぱなしの日々が続いています。
子に合わせて私の感情の動きも忙しないですが、周りのサポートを受けながら今のところは順調に育ってくれているので安心。
とはいえ心配や不安は常にあるし、今後もそれらが消えるということは恐らくない気がするので、悩みながら迷いながら気長にやっていきたいと思います。


子の世話をしていると自分の子供時代を思い出すもので、最近思い出したエピソードのうちのひとつを今日は書いてみます。

私の母方の祖母は現在80代、コロナが流行り始めて以降は直接会えていませんが、電話するといつも元気な声を聴かせてくれます。
祖母は習字の先生をしておりまして、時折自身の作品を展示会へ出展したりもしています。
先日娘が産まれたことを報告した際は、色紙に娘の名前を書いたものを送ってくれました。

私が小学校高学年の頃、母が入院していたため祖母が我が家に泊まり込みで私の世話をしてくれていた時期がありました。
小さい頃からおばあちゃんっ子だった私は大喜び。祖母の作ってくれたご飯を食べながらその日学校であった出来事を聞いてもらったり、一緒にテレビを見たり、塾の送り迎えをしてもらいながらくだらない冗談を言い合ったり。
正直、母がいない寂しさよりも、祖母とバイバイすることなく明日も明後日も一緒にいられる…という喜びの方が上回っていた気がします。

祖母と一緒に住み始めてしばらくした後、年が明け、学校の冬休みが終わって迎えた新学期。学校で書き初め大会がありました。

書写の授業、特に毛筆は大の苦手だった私。
「一緒に書き初めの練習しようか?」と事前に祖母が申し出てくれていたのを頑なに断っていました。
当時は反抗期に差しかかっていたのに加え、恥ずかしながら悪い意味でプライドだけがエベレスト級に高かったので、自分の字をその道のプロである祖母に見られたうえに悪いところを指摘される、というのがものすごく嫌だったのです。今までそんなことをされたこと、一度もなかったのに。
なので、書いたら作品見せてね、と言う祖母に対しても「絶対やだ!」と抗ってました。

書き初め大会で書いた作品は案の定、自分の納得のいく出来ではありませんでした。
縦長に1メートル以上ある半紙に「美しい朝」だかそんなような四文字を書いたのですが、どこを取ってもお世辞にも良いとは言えず。
こんな作品、祖母には絶対見られたくない。どうしようどうしよう…と頭をぐるぐるさせながら帰路につきました。

帰宅してすぐに私が取った行動は、自分の書いたものを細かくちぎって捨ててしまう…というものでした。
文字を文字と判別できないように、約1センチ四方の細かさになるまでひたすらちぎってちぎって、部屋のゴミ箱に紙くずの山を押し込みました。
リビングに入ると予想通り祖母から「書き初めどうだった?見せて〜」と聞かれたので、「もう捨てちゃった!」と言い放つ。
ぶっきらぼうな態度を取っておきながら、その時の祖母の顔は見ることができませんでした。
ただ、何と言われたかまでは覚えていませんが、意外にあっさりしていて、その話はそこで終わったと記憶しています。
部屋のゴミは祖母が回収してくれていたので作品の残骸も目にしたはずですが、以降は特に話題に出されることもありませんでした。

そんな忌まわしい書き初め大会の記憶も薄れつつあった、数週間後のある日。
リビングで、祖母が「これ、直しちゃった。よく書けてるじゃない!」と笑顔ながらもさらっとした口調で私に手渡してきたのは、かつて私がビリビリに破いた書き初め大会の作品でした。
全面がびっしりとセロテープで継ぎ接ぎされ、ほぼ元通りに文字が復元されていました。

まさか再びこの作品を目にするなんて思ってもいなかった私は、驚きのあまりすぐに言葉が出ませんでした。やっと出てきたのは「あ、そう」という、これまた何ともぶっきらぼうな言葉。
復元された作品を祖母から乱暴に受け取って、私はすぐに自室に引っ込みました。

部屋に戻ってから、恐る恐る半紙を広げ、作品を改めて眺めてみました。
一度ビリビリになった紙くず達はボロボロながらも、何十箇所もセロテープでびっしり継ぎ合わされ、剥がれないようにしっかり固定されている。
文字はほぼ元通りに直っているようでも、近くでよくよく見ると継ぎ目や文字の輪郭がガタガタな箇所、ちょっとだけ文字の端っこが欠けている箇所がいくつもある。
それでも少し目を離して全体を見てみれば、セロテープだらけで表面が光で反射してテカテカしている以外は、自分の学年と名前の部分も含めてごく自然に読めるくらいに修復されていました。
白地の半紙に黒の毛筆文字のみということで直すにはめちゃくちゃ労力の要る作業だったと思うのですが、
ちぎり絵の如く細かく破った紙くずをかき集めて、私が気付かないところで、老眼鏡を掛けながら少しずつ少しずつ、何時間もかけて、セロテープを何十回と継ぎ合わせて…そんな祖母の姿と気持ちを想像したら、毛筆の文字が何だか涙でぼやけて見えました。

破いてしまったことを非難するでもなければ、
作品の出来について指摘するでもなく、
超高難易度のジグソーパズルを完成させてくれたうえに、
よく書けてる、と褒めてくれた祖母。
結局、素直に「ごめんなさい」も「ありがとう」も言えないままでしたし、その後祖母に習字を教えてもらうようになった…という話でもないのですが、
以降は書いた作品をむやみに捨てることはなくなり、褒めてもらったことが自信に繋がったのか、翌年の書き初め大会では銀賞を貰うことができました。

あれから20年以上が経ちましたが、祖母と過ごしたあの日々は今思い返しても幸せな期間でした。
私は親との関係性が原因で実家での居心地は正直イマイチだったのですが、それでも何とか大きく道を踏み外すことなく(?)ここまで育つことができたのは、祖母と過ごした時間が私の人格形成に大いに影響している気がします。
もちろん母方の祖母だけでなく、父方の祖母や親戚、小学校や塾の友人や先生…周りにいた多くの人に助けられ、支えられてここまで生きて来られました。

自分の子に対しても、親として出来る限りのことはしていきたいですが、
仮にもし親子の関係性が拗れてしまった時に、子どもにとって家族の他に居心地のよい場所だったり心の拠り所と呼べるものがあるかどうかは自分の経験上ですが大事だと感じたので、
親である自分達だけでなく、なるべく多く周りの人と関わらせたいし、関わってくれたらいいなぁと思っています。


久し振りの更新がいつも以上に面白みのない内容になってしまったので、これから皆様のnoteを読んで面白いの勉強したいと思います。
次回更新できるのは果たしていつになることやら…