自分の承認欲求について
こんばんは。今日の夕飯に久しぶりにバーガーキングのアボカドワッパー(通常サイズ)を食べたら見事に胸焼けを起こし、自分の年齢を改めて痛感させられました。
あ、あとプロ野球セ・リーグはスワローズ2連覇おめでとうございます。
少し前に自分が過去にmixiで書いていた日記を見直していたら、何だか割と今の自分自身の考え方にも通ずるものがあったので、恥を承知でそのまま載せてみます。
本当は新しく記事を書きたいけどあまりにも更新しなさ過ぎて色々忘れたので慣らし運転的なやつです。あと今だったら私のnoteを見てくれてる人はもうかなり減ってると思うので、もう何も怖くない(嘘です)
ちなみにこれを書いたのは約3年前なので、当時はまだ働いていたりで現在とは少し状況が違っていますのでご了承ください。
◇◇◇
またしても眠れない深夜にこじらせた。
私は本当にSNS依存症で、
暇さえあればSNS開かないと気が済まないし、
自分の投稿にいくつ「いいね」が付くか気になるあまりに眠れなくなる時もあるし、
人の投稿も、コメントの細かいとこ隅々までチェックしてしまう。
ほか、人に話したらドン引きされそうな事もやってるので省略しますが、重症です。
こんな自分の承認欲求の強さはどこからくるのか?
実社会で人に認めて欲しいのに、自分が思うほど認めてもらえないから?
何でそんなに認めてもらいたがってるんだ?
と考えてて、
それはどこかで「自分は特別だ」って意識が抜けないからなんじゃないか、というところに行き着いた。
特別でない、凡庸な自分を認められない。
昔から人よりお勉強だけはちょっとできたから「頭いい」って周りから言われることも多くて、
ぶっちゃけ「私は他の子とは違うんだ!」って調子乗ってた。
それだけではどうも飽き足らず、
他の普通の子みたいな「可愛い」が苦手な、ワタシ。
他の普通の子より色んなことを知っている、ワタシ。
他の普通の子より強い感受性を持っている、ワタシ。
そうやって人と比べて、ある意味では周りを見下しながら、自我を保ってきた。(今思えば最悪だけど)
多くの人が乗り越えてきたであろう「中二病」を、私は未だに引きずっているフシがある。
今の職場、上司から色んなことを言われる。
あなたは自分を過大評価している、
とか、
注意されてもどこか他人事だよね、
とか。
その根底には、やっぱり自分は特別だという意識があるんだと思う。
自分はもっとできるはずだ。
自分は何やってもきっと許されるはずだ。
そんな風に思っているから、つまずいた時のダメージも大きい。
仕事もそうだし、思い返せば勉強とかピアノとかもそうだった。
ちょっとしくっただけでも「私はどうせ何やってもダメなんだ」と、必要以上に落ち込む。
じゃあ、そこから脱却するにはどうしたらいい?
自分が特別ではない、他の人たちと同じような「普通の」存在であることを自覚するためには、どうしたらいい?
「自分が特別 直す」とかでググったりしたけど、これという答えには出会えない。自分で考えないことには正解にはたどり着けない、か。
こんな自分でも、ありがたいことに大事に思ってくれている人や、私が何をやらかしても(犯罪とかは別にして)きっと私に対する態度は変えずにいてくれるだろう人は何人か思いつく。ほぼ無条件に自分を認めてくれている、貴重な人達。
まずはその人たちの存在に感謝すること。
そのうえで、自分がどう思うかじゃなく、その人たちがどう思うかを考えて、具体的に行動に移すこと。
自分が思っていることは、周りの人も同じように思っている。
自分が嬉しいことは人も嬉しいし、自分がされて傷付くことは他の人だって傷付く。
そこからなのかな。
私こういう自分発信の一方通行なツールはわりと好きなんだけど、コメントのやり取りとか双方向のコミュニケーションになると一気に苦手になるんだよな…そういう所にも表れていると思う。
とりあえずこの週末は貴重な友人のうちの一人に会うので、実践!する。
楽しんでこよう。
それではまたー。