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その優しさのおかげで今日も生きている

こんばんは。アサヒのドライゼロを飲みながらこの記事を書いています。ノンアルコールビールの中では一番好きで冷蔵庫には常にストックしてあります。しかし、普通のビールはもっと美味しいのを知っているので「もうノンアルで十分!」とは残念ながらなりません。

今回はちょっと振り返り話です。

妊娠中、色んな人が優しくしてくれました。
何となく恥ずかしいのでお腹が目立たなさそうな服をなるべく選んで着ていたり(後期は諦めてニットワンピースとか着てましたが…)、公共交通機関を利用することもさほどなかったので自治体で貰ったマタニティマークも付けずに過ごしていましたが、それでも気付いて声を掛けてくださる方が多かったように思います。
例えば、電車に乗ってドア横に立っていたにもかかわらず、少し離れた席に座っていた方がわざわざ声を掛けてくれて席を譲ってくれたり、
スーパーのレジでお会計後、カゴを持ちやすいように店員さんが持ち手を立ててくれたり、レジが混んでいない時にはサッカー台までカゴを運んでくれたり。
体調良い日に行った外食先で、店員さんが空調が寒くないかやブランケットが必要かを聞いてくれたり、カフェインレスやノンアルコールの飲み物を提案してくれたり。

もっと身近なところでも、
妊娠中にお会いした先輩ママパパさん、先輩後輩、友人、義父や義母などから祝福の言葉や私の体調を気遣う言葉を掛けてもらったり、私になるべく負担のないようにと会う場所やお店の調整をしてもらったり。安産祈願のお守りとか、赤ちゃん用のお洋服とかお菓子とかカフェインレスコーヒーとか、嬉しい心遣いをいただいたり。
妊娠中には直接会っていなかった叔母も、旅行先の神社で安産祈願をしてきたよ〜と言ってくれて、御守りを郵送してくれました。

妊娠初期から出産直前まで、つわりなどの身体的な不調に加え、本来喜ばしいはずのことなのになかなか前向きに考えられず、またそんな自分に自己嫌悪でメンタルも結構不安定でした。
そんな中、周りの人からのこうした優しさの数々が本当に心に沁みました。

ちなみにこれは産後の話ですが、出産して数日後くらいに承認欲求に負けてインスタで写真付きの出産報告をしたところ、懐かしい友人がいいねだったり温かいコメントをくれたりしてこちらも嬉しかったです。
その中には本当に卒業以来一度も会っていない子もいたんですけど、私のこと忘れないでいてくれたんだ…どころか、いいねとかコメントしてくれたその一瞬だけでも私のこと気に掛けてくれたんだ、貴重な時間を割いてくれたんだなーって思ってウフフってなっちゃいました。

なんか、私に優しくしたところで、特にたまたまその場に居合わせたくらいの人なんて別に見返りなんてないと思いますし、きっとその人達自身も自分の中でそれぞれ色々な事情を抱えていて忙しかったり大変な思いをしたりしていると思うんですけど、それでも自分の貴重なリソースをわざわざ私に分けてくれるのが嬉しいし、ありがたい。
もちろん、これって妊娠中や産後に限った話ではなく、私は普段から色んな人から気遣いだったり優しさをたくさんもらっていて、
数時間前、数日前数ヶ月前、数年前とかもっと昔…にもらったそれらをふと思い出しては心がじんわりあったかくなる。ひとつひとつは一瞬の出来事だったとしても、そういうものの積み重ねのおかげで私は今日も生きていられます。
その中には自分が見過ごしてしまったものもきっと多くあるのだと思います。見過ごした故に傷つけてしまった人もいるだろうな、とも…

ということで、自分が優しくしてもらった分は自分も普段から出来るだけ人に優しくありたいし、人の優しさに気付ける人でありたいし、優しくしてもらったらきちんと感謝を示せる人でありたいな、と最近ぼんやり考えます。
…とこうして口で言うのは簡単ですが、余裕のない時は自分のことばかりで周りが見えなくなってしまいがち。「あぁあの時余裕なかったな、しまったな…」って何度も何度も思っているはずなのに、繰り返す。多分これからも繰り返すのでしょうが、繰り返しながらもそこから学習してちょっとずつでも自分のキャパを広げていきたいなぁ…なんて。

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