見出し画像

職を失ってやっと気付いたこと

私のプロフィールや記事を見てくださっている方は既にご存知かと思いますが、現在私は無職です。専業主婦と言えば聞こえはいいですが、子供もいないので育児をしているわけでもありません。いずれは復職するつもりなので、今はそのための充電期間です…と、ちょっとそれっぽいことを言ってみました。

職を失った時、それまであった収入が一気にゼロになりました。ありがたいことに夫が仕事をしてくれているので現在なんとか生活はできていますが、自分の財布で好きな時にちょっといいお菓子とか洋服とか買ったり、というのは気軽にできなくなりました。コロナの影響で外出頻度が減ったので、物を買う機会も今は少ないですが…

仕事をしなくなり日中も家にいるようになって最初の数日は、ネガティブな気持ちの方が大きかったです。職場の方々に迷惑を掛けてしまったという申し訳なさや、職を失ったことへの喪失感や、仕事への未練など。経済的な不安もありました。(これは今もですが…)

ですが、次第に気持ちの整理もついてきて、今までほとんどやらなかった家事もするようになって、生活リズムも整ってきました。

そして、仕事をしている時にはあまり目を向けてこなかったことにも目を向けるようになって、新たに気付いたこともいくつかありました。

生鮮食品など、食品の価格相場

今まではスーパーへ買い物に行くことはあれど、モノの値段には本当に無頓着でした。食品の原材料が高騰しているというニュースも右から左に聞き流していたし、職場のランチルームで女性陣同士で野菜が高いという話題になっても、「高いですよね〜ハハハ♪」と、知ったかぶりしてました。スーパーのセール日も全然知らなかったです。

無職になってから平日の日中にスーパーへ行くようになり、少しずつ色々なモノの価格相場が分かるようになってきました。玉ねぎやじゃがいもは安いけど、ナスとかブロッコリーは意外に高いとか。

季節ごとの旬の野菜果物や魚、価格変動の傾向なんかも大体分かってきました。以前は真夏にアップルパイを作ろうとしたら高いリンゴしか売ってない、という事もありました。肉の部位はどれが安くてどれが高いとかも何となく分かりました。

スーパーの特徴やセールの曜日、この日はポイントが倍になるとか。レジにいる店員さんの顔や、店員さんによってスピードとかバーコードの通し方とか、実は微妙に差があったりもする。

通勤しないので電車に乗ることもないため、活動範囲がぐっと狭まったということもあって、スーパーでの買い物は結構楽しくなってます。今日はこれが安い。昨日まではなかった野菜が今日は置いてある。いつもは買わないけど、安くなってるから買ってみようか。行く度にちょっとした発見があって、最近エンタメ要素を見出しつつあります。

いろんな人で、世界は回っている

これって至極当たり前のことなんですけど、仕事をしている期間はあまり意識していなかったです。

一番身近なのは、やはり直接顔を見るスーパーの店員さんだったり、宅急便や郵便局の配達員さん、役所へ手続きに行った時の職員さんとか。重要な生活インフラを支えている方々ですね。

それから、マンションの管理人さんや、毎日清掃をしてくださる管理会社の方。日々使っている電気や水道やガスも、陰で職員の方々が色々な整備をしてくださっているから、当たり前のように使えている。携帯電話もそう。私がSNSを普段快適に利用できているのも、こうしてnoteから記事を発信できているのも、運営の方々が維持をしてくださっているおかげ。

こうして思いつくことから、普段は意識しないようなものまで、何に対しても必ずそこには誰かが関わっていて、その人の仕事への責任感だとか思いだとか、創意工夫だとかが存在していて、そういうものが集まって世界が回っている。私がこうしてのんびりしている間も、たくさんの人が世の中を回してくださっている。本当に当たり前のことだけど、その「当たり前」について改めて考えて、さまざまなかたちで働く人達に思いを馳せてみる。そんな機会にもなりました。

毎日当たり前に働いてるアナタは、凄いし、えらい

毎朝早くに布団から出て、家を出る準備をととのえて、家を出たら通勤電車に乗って職場へ行き、職場に着いたらきっちり仕事をする。

私も働いている時は、当たり前にこの流れをこなしていましたし、出来て当然だと思っていました。しかし、それが当たり前に出来なくなってからは、「あれは凄いことだったんだ!」と思うばかりです。

仕事をしている人で、100%ストレスフリーです!毎日の仕事に楽しい以外の感情なんて全くないです!なんて人、多分いないじゃないですか。みんな、何かしらのストレスは抱えながらも、うまく折り合いを付けたり、発散させたりしながら、嫌々ながらもこなしている。

でもそれって、そもそも自分自身が心身ともに健康でないと出来ないことなんですよね。こういうのは得てして、失って初めて気付くものてす。『無くしてわかるありがたさ 親と健康とセロテープ』。あ、コレは東海道新幹線三河安城駅にあるニチバン(セロテープを作っている会社)の広告のコピーなんですけど、インパクトありますよね。若くても、足を怪我して歩けない。絶対安静が必要な病気がある。最近ではメンタル系の疾患も全然珍しい話じゃないですよね。でも、そういう怪我も病気もなくて、嫌な時でもちゃんと準備して毎日働いて、それぞれのやり方でしっかりと社会に貢献して、お金をもらっている。経済を支え、世の中を回している。

たまに肉まんが食べたくなってふらっと入るコンビニの店員さんも、いつもマンションにトラックで野菜とか配達に来ているおじさんも、みんなみんな、それをやっている。

仕事へのモチベーションだとかやる気だとかは人によって色々だろうけれど、どんなに仕事したくない日でも、昨日と同じように働くのは、私にとってみたらやっぱり凄いことです。凄いし、えらいです。自信持っていいし、誇りに思っていいと思います。自分の生活する分のお金を稼ぐだけでも結構大変なのに、他の家族も養っている人は本当、立派ですよね。私も、もっと父に感謝したり優しくすべきだったなあ…なんて思ったりします。

今思うこと、そしてこれから

色んな人が、それぞれ社会を支えている。スーパーで買う野菜だって、たくさんの人の手を通して、店頭に並んでいるワケで。当たり前だと思っていたことを、一旦立ち止まって、改めてゆっくり考えてみる。今、私には仕事がないけど、今も仕事をし続けていたなら、多分こんな事にも気付けなかったかもしれません。

だから、世の中を支えてくれている方々に対して、自分なりの感謝と敬意の心を忘れないでいたい。小さな事ですが、例えば店員さんが気持ち良く接客できるように表情や挙動に気を遣うとか、レジでもたついてお仕事を滞らせないようにちょっと気を付ける…みたいな。

また仕事をするようになっても、この気付きは忘れず心に留めておいて、違う職業の人達にもちゃんと感謝できる自分でいたい。そして、働いている自分自身も褒めて、労ってあげたい。そんな事を思います。