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「思いやり」について考える

私は基本的に、人への思いやりや配慮に欠けているところがすごく多いな…と常日頃感じています。最近ではHSP(Highly Sensitive Person=非常に感受性豊かだったり敏感な人)という気質がネットニュースなどで取り上げられることも多いですが、私は当てはまらないどころか真逆な気がします。いわばHIP(Highly Insensitive Person=鈍感な人)といったところでしょうか。もちろんそんな言葉はありません。

例えば、友人と会う予定を急に変更してもらうことに対する「申し訳ない」という言葉、そのひとことの中には意識的にも無意識的にも色々な要素をそこに含ませているのが一般の人の感覚だと思います。

自分の都合が、どうしてもつかなくなってしまった。せっかく相手がわざわざ自身の貴重な時間を割いて、自分のために時間を空けてくれていた。そのために、自分の趣味とか勉強とか、そういう自分のための時間を犠牲にしているかもしれない。それを、急に予定変更してもらうことは、そういう相手の厚意を無駄にすることにもなる。そして、また相手の予定をわざわざ調整してもらわないといけない。

それらすべてに対しての「申し訳ない」だと普通は思うんですけど、私の場合はそういうものがすっぽり抜け落ちた、ただ言葉のそのものの意味しかない「申し訳ない」だったんです。って言うとなんだか伝わりにくい気がするのですが…つまりは、ベクトルが相手ではなく自分に向いているんです。極端な話、「相手が不便を被ったり、相手を嫌な気持ちにさせることに対しての申し訳ない」ではなく、「自分が嫌われたくないから、謝っておこう」みたいな考え方だったわけです。

夫には、結婚前に付き合っている段階の時からこれをよく指摘されていました。「もっと人の気持ちを考えなよ」と。その度に私は落ち込み反省するのですが、今も完全に「人の気持ちを考え」られるようになったわけではありません。家族としていま私の一番身近にいる夫はハッキリと指摘してくれますが、気付かずに他の友人などを傷つけているケースも今まで多くあったのだろうと思いますし、そのために友人や周りの人達が離れていったことも、きっと一度や二度だけではないと思います。

私の場合は「嫌われたくない」という気持ちが強いあまり、相手への配慮がおろそかになってしまうケースが非常に多いです。

後輩に嫌われたくないから、しっかり指導できない。友人とご飯の約束をしても、友人に嫌われたくないから、行きたい店など自分の希望が言えない。複数人の友人グループで話してる時に、やっぱり友人に嫌われたくないから、自分の意見が言えない…など。

結局、全部「自分が〜、自分が〜」なんですよね。相手に気を遣ってるようでも、実は全然相手のためになってない。むしろ、かえって相手に不快な思いをさせる場合だってある。

ただ、私がそういう失敗を度々やらかしていても、それでも仲良くしてくれる友人など、関係を切らずにいてくれる心の広い人がいる。私のせいで嫌な思いをした事だってあるでしょうに、それでも受け入れてくれる人の存在は本当にありがたいと思います。心強いし、自分自身の精神的な余裕だったり自信にもつながります。

だから、そんな人達の存在に感謝して、でもそれに甘んじることなく、これからも他者への配慮や思いやりを常に忘れず、それに基づいた行動を取っていきたい…と思います。もし上手くいかなかったら、その都度原因を考え、反省し、修正する。それでもダメだったとしても、私のことを理解してくれる人達はいる。その人達に対しては誠実でいたいです。

なんだか私の決意表明になってしまいましたが、読んでいただいてありがとうございます!