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我が子は宝物、ではない?

こんばんは。
育児していて思い出したシリーズでちょっと書きたいと思います。

私が小学校を卒業する時、「親から我が子への手紙」というタイトルの冊子が配られました。
卒業する生徒たちの保護者が、それぞれ事前に配布されたA5サイズの用紙に上記のテーマで書いたものをまとめた文集です。
当時は今ほどパソコンもプリンターも普及していない時代だったので、手書きされる方が大半でした。
私の母は「そんなこと言われたって、一体何を書いたらいいのよ…」とブツクサ文句を言っていたのを覚えています。

文集には、それぞれのお父さんお母さん達の我が子に対する想いが詰まっていて、どれもとても素敵でした。
その中でも特に、クラスメイトのある女の子のお母さんのお手紙が強く印象に残りました。
内容を一部紹介しますが、記憶が曖昧な部分もあるのでちょっと脚色が入ります。

ある日、学校から帰ってきたあなたは、
「ねえねえ、お母さん!お母さんの宝物って何?」と、目を輝かせて私に聞いてきましたね。

宝物?
何だろう…婚約指輪のダイヤかな?でもあれはどこにしまったっけ、タンスの奥底だったかな…?
などと考えて私が返答に詰まっていると、あなたは

「お母さんの宝物、私じゃないんだ」

と、悲しそうな顔。

聞けばその日の朝礼で、校長先生が「みんなは、お父さんお母さんの宝物なんだよ。」というお話をされたそうだ。

しまった!ーだけど事実、今まで私はあなたを「宝物」だと思ったことはなかった。
なぜなら、たとえ私の子どもであったとしても、
あなたは、私とは違った一人の「人間」だと思って今まであなたに向き合ってきたから。

(文章はこの後も続いているのですが、少し記憶が曖昧なのでここまでにとどめておきます…)


もちろん、校長先生は「子どもは親にとってかけがえのない存在なんだよ」という意味で「宝物」という言葉を使ったのであって、決してそこに「子どもは"物"だ」なんて意図はなかったと思います。
実際、いつも生徒に対して本当に優しくて、私を含めた生徒みんなが大好きな校長先生でした。

だからこそ、この文章を読んだ時の衝撃も大きかったのだけど、
このお母さんの方も当然校長先生のお話の意図は理解しているから、校長先生の言葉には「しまった」と思いつつも否定することなく、私が省略してしまった後半部分は、

我が子は心から大切な存在だけど、いつかは自分のもとを離れていく。
これから、時には対立したり、手をあげることもあるけれど、
あなたが大人になるまでは、親としてあなたとしっかり向き合いながら、出来る限りのことをしたい。

という趣旨で書かれていました。

当時これを読んだときは「そうか、『我が子は宝物』という言葉を今まで素直に受け取っていたけど、そんな考え方もあるんだ!」と目からウロコな感覚でしたが、
すごく素敵な考え方だな、と今も改めて思います。
きっと普段から本当に、自然に子どもを「自分とは別の人格を持った、一人の人間」として見ていたんだろうな…と。
「子どもは親の所有物なんかじゃない!」と、口だけなら今の私でも言えちゃうくらい簡単ですが、実際にそう思って日々子どもと向き合うって実は結構大変なんじゃないだろうか。

我が子と言えど、自分とは全く違う人間。
分かってはいても、やっぱり「こういう人になってほしい」という理想はあるし、
まだ赤ちゃんだから自分の思い通りに動いてくれなくて当たり前なのに、気持ちに余裕のない時はついイライラしてしまう。
この先もきっと、自分の意見を押し付けてしまう場面がたくさん出てくるかもしれない。

そんな時、この文章を思い出したい。
今でこそあれこれと昼夜世話を焼いているけれど、やっぱりいつかは、親は必要とされなくなる。
それまでに私がこの子に親として出来ることは何かな?と最近色々と考えますが、
血の繋がりがあろうと、眼の前にいるこの子は自分とは別の人間である、という前提は常に頭に入れておきたいです。とまた月並みな事しか言えてないですが…




普段以上に思いつきとか勢いで書いてそのまま投稿しちゃってるので、投稿後何度も細かく手直しに来るかもしれないです。
ちなみに私の母は、私の名前の由来とか小学校に入学した経緯とか、これからどんな子に育ってほしい、などを書いていた気がしますがいまひとつ曖昧な記憶しかないのでちょっと申し訳ない気分です。
それではまた。ごきげんよう〜。