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楽しみがあるって、すごいパワーを産む

我が家の子供達がよくやるオンラインゲームがある。
今時のゲームは、スーパーファミコン世代の私にとって、360度を見渡せる世界は酔いそうになるし、ルールも難しすぎて、全然ついていけない。

その子供達がよくやるオンラインゲームが、
シーズン?が終わって?
次のシーズンが始まるから?
オンライン上でイベントがあるとのこと。
なんのこっちゃ、もはやもう、全くわからない。

そのオンラインイベントは、1回しか開催されず、見逃してしまうと、もう参加することができないそうなのだ。

だから見逃すわけにはいかない。
と、子供達は意気込み、
平日の朝5時に開催にもかかわらず、
学校があるにもかかわらず、
早起きしてそのオンラインイベントに参加すると言い始めた。

長男に起こった悲劇

そのオンラインイベントが告知されてから、特に長男はウキウキだった。
それぐらい、そのオンラインイベントは長男にとって重要なものらしい。

何日も前からそのイベントに情熱を注いでいた長男。

当日は夫の助けもあり、無事4:30に起床できた。
以下からは私は4:30に起きる必要性もないし就寝していたため、夫からの報告で知ることになる。

1.無事にオンラインイベントに参加できた

2.しかし、アクセスが集中したせいか無情にも途中で止まってしまう。

3.弟は無事にプレイできていたため、弟のSwitchを奪い取り、オンラインイベントに参加する

4.だが、自分のアカウントで参加したかったため、完全燃焼とはいかず、オンラインイベントは終了してしまう。


絶望感と幸福感と

途中でオンラインイベントが止まってしまったとき、長男は号泣超えて、慟哭していたらしい。(早朝だったので、きっと近所迷惑)

あとで冷静になった長男がその時の心境を話してくれたのだが、
「心が張り裂けそうだった」とのこと。

またまた大袈裟な…とは思いつつも、
絶望へも、幸福へも、どちらにも揺さぶられるほど、そこまで情熱を注げるもののパワーの凄さを肌で感じた。

次男も同じゲームをやっているが、楽しいというより、兄が楽しそうにしているのを見て、ゲームをやってみたいと思わせたと思う。
長男と次男では、ゲームに対する熱量が違うのは歴然だからだ。

たかがゲーム、されどゲーム。
夢中になれるものが一つでもあることは、自分を強くしてくれる。

ゲームと上手く付き合いながら、現実世界も楽しんで生きてほしいと思う。

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