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カチンとくるとき

他人の言動が神経に障って、不愉快に思う。癇 (かん) に障る。


人がカチンとくるときって、どんなときだろう?
「カチンとくる」の意味は、冒頭に綴ったとおり。

ナニに不愉快と思って、癇に障るのだろうか?

それは、図星を突かれたときに多いのではないだろうか?

時に子供の言葉は残酷だ

私の三男は現在4歳だが、2歳程度の発達状況だ。
言葉も運動能力も幼いし、
集団の中では、なかなか自己主張しないシャイな性格も相まって、家では多少ある言動も、通っているこども園では皆無のようだ。

その園では、年長さんになると運動会で竹馬を披露する。
これは、私の住んでいる地域限定なのだろうか。
別の園に通っていた長男も次男のときも、年長さんになると運動会で竹馬に乗るのが恒例なのだ。

竹馬に乗れることでおそらく色んなメリットはあるのだろうけど、それは敢えてググらず、
謎な恒例行事だと個人的には思っている。   

竹馬に乗れようが乗れまいが、将来困ることはないのだろうけど、
きっと、竹馬に乗れることが重要ではなくて、
チャレンジすること
チャレンジしてみようという気持ちを育むことが狙いなのだろう。

まぁ我が家は、みんな発達に遅れがあり、カラダの使い方が少し下手くそなところがあるので、兄達は竹馬に乗れたことはない。
そして私も乗れないから教えようがない。

だけど、子供達は頑張って練習はしていた。
諦めずに最後まで乗ろうとはしていた。
その姿を見ることができて私はそれで十分だと思っている。

それは、おそらく、来年年長になる三男もきっと同じことになるだろうと予想している。

そんな心内を知らず、三男と同じクラスの子が竹馬を見て言い放った。

「三男くんは赤ちゃんだから、竹馬乗れへんで」

私は、この時、年甲斐もなくカチンときてしまったのだ。

そんなことは、誰よりも私が1番わかっているからだ。

また違う子からは、
「何で、三男くんは話せへんの?」

それは、私が1番聞きたい。

定型発達児への憧れ

「三男くんは赤ちゃんだから、竹馬乗れへんで」
の問いに関しては
→頑張って乗れるように練習するわ

「何で、三男くんは話せへんの?」
→なんでやろうなぁ。お話の仕方教えてくれる?

精一杯の返答だ。

なぜ、この問い達に反応してしまうかというと、
恐らく定型発達児への憧れが私の中にあるのだろう。

少食だろうが、
癇癪おこそうが、
寝坊しようが、

集団指導でちゃんと理解して動けて、話せるのなら、それで十分じゃない
というものが私の根底にあるのだ。

我が家の子供達が集団の中にいると、どうしても目立ってしまうだろうことに、やりきれない想いが最初はあった。

我が子達がみんなと違う動きをすることに深い抵抗があった。

我が子なのに、周りの目からでしか我が子を見れない自分が情けなくて、嫌になって、
だったら私が周りの目を気にせず好きなようにしようと思うようになり、
自分を確認し、認めたことで、
我が子達のことも認めてあげられるようになった。

だから、我が子が集団の中で遅れがあることを何とも思わなくなってきたと思っていたから、
子供の何気ない言葉にカチンときてしまっことに少々驚きもある。

まだまだ根深く、私の中に定型発達児への憧れがあるんだなと気づいた。

カチンときても1日 何とも思ってなくても1日

泣いても1日、笑っても1日。
カチンと来る日もあれば、何とも思わない日もある。
どんな日だって終わって、また明日は来る。

久々こんなに長いnoteを綴った日。
この日もまた終わって、明日は来るのだ。

ただ、ただ、感情を味わって生きているんだな。

毎日お疲れ様と自分を労って、今日のnoteは終わろうと思う。

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