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M-1グランプリとはバラエティであり、ドキュメントである

今年もM-1グランプリが終わった。優勝は錦鯉。苦労人が優勝した時点で今年のアナザーストーリーが感動巨編になることは確定していた。

「諦めないでやってきてよかったと思います」

優勝コメントで長谷川雅紀は語った。このコメントそのものは使い古された、このような場ではありふれた言葉だ。だけど、売れずに27年間芸人を続けた50歳の人間が言うことで、その重みは計り知れないものになる。

元々M-1グランプリが創設された目的に「10年目(現在は15年目)までの芸人に出場資格を限ることで、ここで結果が出なければ芸人を諦める一つの選択肢になる」ということがあった。実際、M-1ラストイヤーを契機にコンビを解散したり芸人を引退する人も少なからずいるだろう。

しかし、ラストイヤーが56歳だった芸人が50歳でM-1の頂点を取ったことで、売れない芸人は「錦鯉は50歳で売れたからね」と、大器晩成で売れる年齢の上限を引き上げてしまった。そういう意味では「今後も売れない」芸人に変に夢を与えてしまったという罪もあったのかもしれない。

諦めなければ夢は叶う、そんな言葉が嘘っぱちで、現実は残酷であることを僕らは大人になるにつれて理解していく。そんな中で、だいたいの人間は、現実的でありふれた人生を選ぶようになる。いつまでも叶わない夢に向かって報われない努力を続けることができなくなるからだ。

さっき、売れない芸人に夢を与えたと書いたが、じゃあ果たしてどれほどの芸人があるのかわからない出口に向かって50歳までもがき続けられるだろうか。後輩がどんどん売れていき、友人たちは働いて家庭を持ち、自分の気力体力が若かったころから衰えていくのを感じる中で「諦めずに頑張る」ことができる人がどれだけいるだろうか。

その大変さがわかるから、彼らの優勝が決まったとき、審査員や周囲の芸人がいつもよりも泣いていたんじゃないだろうか。

M-1グランプリは、表向きには漫才の日本一を決めるお笑いのコンテストだ。だから、演者は審査員を、視聴者を笑わせようとこの日のために1年、あるいはそれ以上の時間血の滲むような努力をしてネタを研ぎ澄ます。どのネタも本当に面白くて、テレビの前でゲラゲラと笑わせてもらった。

しかし、実際にはM-1グランプリは1万人以上の人間を巻き込んだ壮大なドキュメントでもある。夢がかなった者、夢破れた者、リベンジを誓う者、別の道を歩みだす者、そこには参加した人間の数だけ人生がある。本気であるからこそ、バラエティーとして面白く、ドキュメンタリーとして良質なのだ。

今年もM-1が終わり、その瞬間から来年のM-1に向けての戦いが始まっている。今年も笑いを、感動をありがとう。

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