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東京の賃貸アパートから大阪の一軒家を購入するまでの軌跡~序章~

ほぼ外出しない日々が続いているため、東京を離れたのも大阪に住んでいるのもさほど実感はないが、今年から大阪に住んでいる。

新型コロナウイルスがまだ身近ではなかった2020年初からは想像もしていなかった生活を送っているが、家を買うまでの履歴を備忘も兼ねて書いておこうと思う。

東京での住まい

23区の西側、2路線利用できてターミナル駅までは15分程度、駅前でだいたいなんでも揃う(ないのは大型の家電量販店、家具・ホームセンターくらい)駅から徒歩10分程度、静かな住宅地の中にあるテラスハウスタイプの1LDKだった。家賃は共益費込みで12.5万円。

結婚して子供が生まれる前から住んでいて、子供が大きくなったら引っ越さないとね、という話はしていたが同じエリアの2LDK物件などはプラス3~4万見積もらなければならず、築年数や駅徒歩の条件を下げて同じエリアに住むか、多少郊外へ引っ越すかというのを検討する時期であった。エリアを変えると保活もまたやり直しになるのでどうすればいいんだ...と漠然と考えていた。

子供が1歳になり、そこかしこを歩き回り、目に映るもの手に届くものを何でも触ってはその辺に巻き散らかすという状況で、4月からは保育園に通い始めてそのタイミングで妻は時短で復職する予定になっていた。

コロナで変わるワークスタイル

当時は当然ながら毎日会社に行って、夜22時~23時くらいに帰ってくるような生活を送っていた。寝かしつけが終わるような時間だったので、帰ってきた音で起こしてしまうこともあったし、寝室の隣のリビングで喋っていると子供が起きてきてしまうこともあった。

そこに来ての新型コロナウイルス感染拡大である。私の勤めていた会社は兼ねてより東京オリンピックに備えてテレワークを推進しようとしていたらしく、それを(当時の感覚で)数か月前倒しするという形で3月中旬より原則テレワークということになった。

そうなると1LDK(と言っても寝室が6畳、LDKが12畳)に妻と子供、就業中の私がひしめき合う形になる。MTGをしていても声は入ってしまうし、夜に就業していると、妻が実家とテレビ電話したり、テレビを見たりということもできないというのが大きなストレスになっていた。

更に緊急事態宣言が発令されたことにより、4月から預けるはずだった保育園は5月からしか預けられなくなり、妻の育休が延長され、更に復職すると妻もテレワークになることが決まった。

5月、子供が保育園に通い始め、妻は復職し、夫婦そろって寝室とLDKに別れてテレワークでの就業を開始した。家事育児は育休中かなり妻に依存していたものをある程度分担できるようになったり、食事の時間が規則的になるというプラスの面もあるものの、やはり子供がいるときは起きてても寝ていても仕事の仕方にはかなり気を遣う日々が続いた。

転機は突然に

いつまでこの状態で働くのか終わりが見えない中、6~7月くらいに会社の中で「大阪への異動希望者を募る」という話が降ってきた。東京以外にも事業所はあるが、私の職種は大多数が東京に所属しており、私の所属チームに至っては全員が東京で働いていた。

しかし今後、例えば事業所でクラスター感染などが発生した場合に日常業務を維持することすら難しくなるケースを想定し、所属の中でもいくつかの拠点に分散して最悪どこかの事業所で業務停止状態になっても業務が続けられるようにという狙いがあった。

そして所属チームである程度のポジションにいて、かつ関西にも縁があるのが私しかいなかったため、私の方に大阪事業所への異動を検討してほしいという依頼が飛んできたのである。

結論から言うとこれを受諾して現在に至るわけだが、そもそも異動が強制ではない点、異動時期についてはかなり柔軟性を持たせてくれていた(実際保育園の転園に併せることができた)点、妻の会社でも私の転勤に伴って転勤をさせてくれた点などは友人の話を聞く限りかなり恵まれていたと思う。


そんなこんなで2021年7月、東京で暮らしつつ大阪での家を探し始めることになる。

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