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側溝に人が落ちていた

ニュースを見て、同じようなシチュエーションで人助けをしたことを思い出した。

大学生の時、いつも入り浸っていた居酒屋で飲んで、いつものように家で朝まで寝ようとする友人と共に自宅への道を歩いていた。
国道から一本中に入った住宅街、時刻は0時前で歩いている人もほとんどいない。等間隔にある街灯が家路への道しるべのように灯っていた。

居酒屋での続きでバカな話をしながらその道を歩いていて、ふっと視線の端で何かが動いた気がした。いや、実際にはさっきまで100メートルほど先にふらふらと自転車を漕いでいた人がいた気がしたのだが、今視線の先には何もない。

「今そこに自転車いなかった?」
「いやー、見てなかったんでわかんないっすね」
「曲がり角で曲がったかな…気のせいか?」

そんな会話をしながらも、一応と思ってさっきまで自転車の人がいたであろうところに近づく。電車の高架と道が重なり合う場所だ。

※画像はイメージです

「いや、なんかこの辺に自転車がいた気がしたんだよなぁ…」
と言いながら近づくと、果たして側溝に自転車と、人が落ちていたのだった。

※画像はイメージです

恐らく道が暗いのと酔っぱらっていたのとで、道路の端が側溝になっていることに気づかず、車止めに引っかかってそのまま前に一回転して溝に落ちているっぽかった。高さは1.5mくらいはあったと思う。

「大丈夫ですか?」と声をかけると返事があった。
「今どういう状況かわかりますか?動けますか?」と聞いてみてもまだ自分の状況がわかっていないようだった。

とりあえず友人を近くの病院に走らせて状況を説明してきてほしいと伝えて落ちた人の状況を確認する。会話はできるが、身体は思うように動かせないらしい。頭は打っているっぽいので動かないように伝え、飲んでましたか?とか痛いところあります?となるべく刺激せず雑談で気を紛らわしてもらって友人の戻りを待つ。

程なくして友人が戻ってきた。医者が現場に来るわけにはいかないので救急車を呼んでほしいとのこと(考えてみればそりゃそうだ)。「大丈夫だとは思うんですけど一応頭打っているみたいなんで救急車呼びますねー」と声をかけて救急車を呼んだ。

しかし、その声色と裏腹に電話ではかなり切迫した感じで状況を伝えていた。友人が帰ってくるまでの間に少し動けるようになった、とうつ伏せの状態から起き上がった男の人のおでこにものすごいこぶができていたのだ。血はそこまで出ていなかったが頭を強くっているのは間違いなさそうだった。

しばらくすると救急車が来て、隊員の方に情報を引継ぎして、救急車を見送った。

自分が助けた、なんておこがましいことは考えないが、もし自分があの時あそこを通りがからなかったら、前を通っている自転車に気を留めていなかったら、落ちた瞬間を見ていなかったら、と思うと背筋が凍る思いがする。

問題になった側溝は、その後しばらくして埋め立てられて今は歩道になっている。岡山でも人食い用水路がたびたび話題になるが、こういう危険な溝は早くなくした方が良いと思う反面、お金も人の手も必要でそう簡単にはいかんよな、というのが難しいところである。

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