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嘉納治五郎のオリンピック招致活動

(嘉納治五郎)『東京:東洋のスポーツ・センター』[第二版] 1934年 東京刊
(Kano, Jigoro), Tokyo. Sports Center of the Orient. Tokyo, Tokyo Municipal Office, 1934.<R19-392>
Second edition, oblong, [vi]. viii, 88pp, original red board with gilt embossed title on the front cover, top edge gilt

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本書見返しのイラスト

本書「Tokyo: Sports Center of the Orient」は、1934年のアテネでのIOC総会において、日本のオリンピック・ムーブメントの父と呼ばれている嘉納治五郎が各国IOCの役員に対して、1940年の東京オリンピック招致への支持を取り付けるために配布したといわれるアルバムです。日本は1932年IOCロサンゼルス総会で1940年オリンピック開催都市に正式に立候補し、その翌年には招致アピールのためのアルバム「Tokyo: Sports Center of the Orient」の発行を行いました。

オリンピック五輪マークの入ったタイトルページ

この「Tokyo」は、発行年が1933年のものと、1934年発行の本品、1935年の三回発行されたことが確認できます。このうちで弊社がこれまで取り扱ったことのある「Tokyo」の1933年版と1934年版とを比べてみると、オリンピック招致活動を打ち出した当時の東京市長永田秀次郎のアピール文章に始まり、東京と日本のスポーツ文化施設を中心に英語解説と写真を添えて紹介するという、内容では基本的に相違の無いつくりとなっています。

当時の東京市長永田秀次郎の招請状
「東洋のスポーツの中心地東京」のアピール文章
参考:1933年初版表紙

なお日本のアルバムによる招致戦略は、1935年2月に1940年開催地を決定する予定であったIOCオスロ総会に先立って配布された、日本全体をテーマとした西陣つづれ折の豪華アルバム「日本」で頂点に達することとなります。

競技会場図見取り図

嘉納がこの「Tokyo」のアルバムを配布していた1930年代初頭は世界情勢が不安定の度を増し始め、現実の政治情勢がスポーツ界にも影響を及ぼし始めた時期でした。1933年のヴィーンでのIOC総会では、同年にドイツで政権を取った国民社会主義ドイツ労働者党によるユダヤ系市民の差別がテーマとなり、極東オリンピックとも言われた「極東選手権」が、日本の関東軍の謀略によって誕生した満洲国の参加をめぐる対立から1934年の第10回大会を持って中止に追い込まれていました。

明治神宮外苑

本書は、こうした厳しさを増す時代状況にあっても日本がスポーツと平和の祭典を開催する意気込みを世界に示した証であったと言えます。

参考文献:
橋本一夫『幻の東京オリンピック』日本放送出版協会 1994年
真田久『嘉納治五郎』株式会社潮出版社 2019年

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