となりの芝生は未来永劫青い

 新卒でタウン誌のライターになった。給料こそあまり良くはなかったが、書くこと自体好きなので職務内容もかなり自分の理想に近く、先輩社員もフランクな人が多かったのでわりと楽しく働いていた。

 2、3年すると、休みの日でも容赦なくかかってくる電話、AM6時出勤、PM11時退勤、週休実質1日等々なかなか心身を削ってくる仕事であることに気づき始めた。それでも「習うより慣れろ」が方針の職場環境、最初の就職先なので比較対象がなかったこともあり、「まあこんなものか」と続けていくうちにそんな生活習慣も当たり前になってしまった。

 2020年にコロナウイルスが蔓延して、在宅ワークに切り替わった。出勤してた頃よりゆっくり起きられるようになったのでありがたみすら感じた。
 しかし、1カ月ほどして記事にできるネタが激減した。これまでなら取材対象となるべき人やイベント、物事がたくさんあったはずなのだが、外出制限のおかげですべてがストップしてしまったのだ。
 それでもページは埋めなくてはならず、他の人も記事の本数が振るわないのか上司から「1日5本」の通達が届き、(外にネタが)ないなら作れば良いの精神でいろいろ考え続けていたが、どうにも胃の痛い日々が続いた。
 それから夏になり、こちらが通達以降毎日記事を5本出しているのに1~2本しか出していない人がいることを知り、胃を痛めているのがバカらしくなった自分は転職サイトに登録した。

 「コロナ禍で転職先を探すのは大変ですよ」とエージェントさんに言われたが、面接を受けること十数回、今の職場の求人を見つけ、2カ月ほどで内定をいただくこととなった。

 自分は事務員に転職し、新たな職場で働くこととなった。完全週休2日、残業は長くても19時くらいまで、きちんと夏季休暇が取れる。なによりも休日にも電話がかかってこない、仕事のことを気にしなくていいというのはこんなにも心が安らげるのだとうれしくなった。自分のデスクでコツコツ仕事を進められる時間は、暑い日も寒い日も取材で外を走り回っていた日々に比べるととてものどかに思えた。

 転職して数カ月、初めての年度末を迎えた。これまで事務作業を経験してこなかった自分が、初めての作業を大量に行うこととなった。毎日あれやこれやと書類を作り、上司や他部署に回覧したり、相談したり、外部と連絡を取り合ったり、どうしていいかわからないものも多かった。

 自分の座席で長時間パソコンに向き合ううちに、外に出たいという衝動が強まっていた。外を歩き回りたい。写真を撮りたい。社外の人間と話したい。議事録以外の文章を書きたい。数字を見たくない。ライターをしていた頃はつらいと思っていた作業を渇望する自分がいた。

 今の仕事はあまり外に出なくていいのが利点であるのだが、その分円滑な仕事のためには社内の人間関係をある程度良好に保つ必要がある。隣人の顔色を窺い、社内の上下関係に気を遣う——自分は相手の様子を窺うことがものすごく苦手なことに気付いた。そして不毛な意見のやり取りで2時間以上かかる会議、本当に必要なのかわからない資料の作成、ライターの時にも無駄足に終わった取材や、伝えたいことが支離滅裂なのに「インタビューしてくれ」と言ってくる依頼など「この時間は何なんだ?」と思うことがしばしばあったが、事務でも違う方向で意味のわからない業務があることを知った。

 ゆっくり仕事ができると喜んだデスクが今は少々息苦しい。仕事が変わった途端に前の仕事を恋しく思う自分の変わり身の早さに笑ってしまった。

 じゃあもう一度転職するかと聞かれると、1年半で見切りをつけるのは早すぎるように思える。前の仕事は5年近く続けて気づいたこともあったし、今の職場が不満しかないわけではない。少しデスクワークに飽きてしまった一過性の症状といえばそうなのだと思う。それに、今の仕事がいよいよつらくなって、心身ともに疲れ果てて再び転職したとしても、自分はやっぱり前の仕事をしていた自分をうらやましく思うに違いない。

 「あっちの方が給料がよさそう」「こっちの方が職場環境が快適に見える」自分は少々夢を見すぎていたかもしれない。ないものねだりの自分にとって、隣の芝生はずっと青いままなのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?