23年11月23日 大田原マラソン
この夏、還暦を迎えた。その時点でSUB4生涯通算は28勝28敗。
57回目のフルは大田原!大田原は4年振り6度目の参戦!
4年振りとなったのは、大会自体が4年振りの開催なのよ。19年大会のあと「栃木国体の準備のために3年間は開催しない。4年後、23年度に開催する」と発表されていた。ただ、ちょうどコロナ禍とも重なり「2度と開催できないのでは?」という噂もあった。本年度、予定通りに無事開催されたことは喜ばしい。「制限時間4時間」という硬派な姿勢は変わらず。
自分としては「還暦SUB4に向けて絶好の舞台」として、緊張感をもって選定した次第。
結果は予想もしていないものと相成った・・・。
37km辺りを通過した。N3:28台で残り5.2km。「残りを@6:00に拘って行けばSUB4だ!ここから急な登りはない。行ける!」と思っていた。
ここまでほぼ想定通り。序盤から中盤の下り基調、最下点26kmまでは@5:30を切って進んできた。登りに転じて若干ペースは落ちて、急な登りのある33km辺りでは@6:00を超えたけど無理はしていない。ここ37km地点では、また@6:00のペースに回復している。残りを粘れば、「『悲願の還暦SUB4』は成就できる!」と心底から思っていた。
その矢先・・・・。
見通しの良い明るいコース、前方100m程にいる係員のスピーカーから「関門まで残り1分半!」との檄が飛ぶ。しっかり聞こえたけど「SUB4ペースを堅持している自分には関係ない」と思っていた。その係員の前を通過するときに「残り1分!」とコール。その直後、驚愕の一言が発せられた。「関門までここから250m!」・・・・「えっ!」
絶句!その瞬間に悟った。
もはやダッシュする気も起きなかった。馬なりに進むしかない。案の定、行く先70m程前で係員がわちゃわちゃとコースに湧き出てくる。言うまでもなくバリケード隊だ。当たり前のようにコースが閉鎖された。呆然自失でバリケードまで進むと係員にコース外に誘導される。まさかの関門OUT。DNF・・・。全く想定していなかった。つい2分前まで「還暦SUB4成就」と信じていたのに・・・しばし呆然とした後、時計を止めると3:30:30。ここの関門制限時間は3:30:00だったのか・・・・還暦SUB4の夢が儚く散った瞬間だった。
今年からコースが変わったので、関門の位置を正確に理解していなかった。大会HPのYouTubeで新コースを何度か見たが、関門チェックはしていなかった。と言うよりも「そもそも関門とはSUB4をあきらめたら引っ掛かるもの」と思っていた。
事前準備はできていた。10月に270kmの距離を踏み、11月は疲労抜きのため距離を落とす。1週間前には整体にも行った。4日も前からアルコールを抜いたのはいつ以来か?。
今日はスタート2時間前に会場入り。しっかり準備運動とストレッチもした。走り出してからのペース配分も想通り。
それなのに、大会ルール(関門タイム)を理解していなかったってことか・・・痛恨!
スタート前に戻ろう。
今日の出立ち。新品のグレイ無地CAP。晴れ予報なのでサングラス。「正装」と言うべき釜石Tの下に冬用ランシャツを重ねる。紺ランパンに蛍光黄ゲイター、紫高級ソックスに、シューズはadidas TAKUMI REN。オレンジアームウォーマーも装着。
9:00過ぎには体育館を出た。寒くない!風もない!那須オロシがないなんて超ラッキー!陸上競技場トラックのアンツーカーを軽く走り、フィールドの芝生でさらに入念なストレッチ。
9:45にスタートブロックCに並んだ。ここまでは薄曇りだった。
スタートブロックの中で陽射しを感じる。首に熱を感じるのだ!「まさか暑くなるのか?」って感じ。この大田原でねぇ。アームウォーマーを外してポケットに。気象庁データだとこの時点で14℃だったようだが、陽射しで体感はもっと高かった。冬用ランシャツの重ね着も不要だったのだろう。
10:00Bang!今日ここに立てていることを感謝。
スタートライン通過は0:30。トラックを3/4周。以前は競技場出口で止まることもあったが今日はスムース。出口の左側でチアリーダー3人が応援してくれている。こちらも笑顔になり、かつ、アロハポーズで応える。
アロハポーズは2種類あるそうだ。相手に手の平を見せるのが「ハングルース」、「ありがとう」とか「こんにちは」等、感謝と挨拶を意味する。一方、手の甲を見せるのは「シャカポーズ」、「頑張ろう」とか「なんとかなるさ」等、激励や元気づけるためのもの。この場で相応しいのは前者、自分はしっかり右手で手の平を示していた
構内道路から左折して一般道に出て1km、@5:20。ちょっと早過ぎるが渋滞の中であり、落とす訳にもいかない。そのまま進む。ぐるっと美原公園を半周するようにして2km、@5:25。気持ち落とす。体育館裏で3km、@5:29。まだ早い。
早くもノドの渇きを感じる。「暑さもあるし、最初の給水はしっかり摂らないと」と決意する。右折したところで「弓削田眞理子」のサインが印字された蛍光ピンクのランシャツ女性2人組が抜いて行った。その後、@5:32、41と刻んで5km。5kmまで27:27。
そのまま直進してライスラインを越える。ここから新コースだ!新コースに入ったら1km毎の表示がなくなった。GARMINでおおよその距離はわかるのだけど、やっぱりLAPタイムは計測したいよな。
最初の給水はしっかり摂取できた。これで一安心。7km過ぎで左折して東進。滝沢野崎停車場線という道路らしい。GARMINによると@5:30前後で進んでいる。10km通過。この5kmは27:28。
11km過ぎて左折。13km過ぎて右折。ここから旧コースで馴染みのあるライスライン。ピンクのランシャツ2人組に追いつく。抜く。ちらっと横を見たら「弓削田さん本人じゃん!」、びっくりした。女性年代別(60代)世界記録を保持していたこともあるSUB3ランナーなのに、今日は私と同じようなペース。隣の女性のPMを務めているってことだろう。
15kmまでの5kmは27:02。振返ってみればこの辺りはちょっと押してしまっていたのかも・・・。沿道の応援にも都度ハングルースと共に「ありがとう」と応えていたし、ちょっとしたランニングハイだったのだろう。
15km過ぎて右折。ここでスポンジを取る。大田原では初めてスポンジの世話になったのではないかな。首筋を拭ったあとCAPの上からスポンジを絞った。頭皮に水が落ちていくのが気持ち良い。気温は20℃には届かなかったようだが陽射しが強く、結構暑さを覚えていた。
ここからは下り。少しストライドを広げて抜きまくる。箒川を渡る。のどかな明るい景色に癒される。少し登って左折。この辺りの沿道には高齢者の応援が多い。ハングルースを送りまくる。左折して下ってまた箒川を渡る。登り切って、(旧コースだとスライド区間に入るところを)右折。そこが20km。この5kmは27:10。
20.4kmのスペシャル給水。ビブス№末尾1は一番手前のテーブル。用意していたボトルは地味過ぎた。走りながらでは見つけられなくて立ち止まって探してしまった。ロス5秒といったところか?例年テーブルに残っているボトルは4、5本だったから簡単に見つけられたのだけど・・・ボトルは来年の課題。それでも中身のソルティライチは美味かった。貼付していたメダリストはどうやって開封して良いかわからずポケットに仕舞う。
そこでまごまごしていたからか、弓削田さんに並ばれた。思い切って話しかけてみた。「ご本人なんですね。高島平で応援した時にはもっと大柄な方だと思ってた」と言ったら「本人よ笑。あの時は、こうやって走っていたからでしょ」と大きなストライドでダイナミックなフォームを披露してくれた。「それそれ笑。男子大学生に周回遅れを食らったときに『抜き返せ』って言ったのが私です」と言ったらわかってくれたようだった。その直後、自分が前に出た。出てしまったと言うべきか・・・。
その後の給水所。中学生かな?女子が「頑張ってください」と声を掛けてくれたので「ここからが大変なのよ」と返したら「もぉ、応援してるんだから頑張ってくださいよ!」と笑いながら叱ってくれた。
24km過ぎで旧コースから左折して国道294号。ここからは未知のコース。少し進んで左折して国道400号を西進。ここで25km。この5kmは27:32。ここまでは出来すぎのLAPを刻んでいる。そして、ここから登りに転じるわけだ。
極々緩やかな登りになったら弓削田さんに再度並ばれた。隣の女性に話しかけている。「この程度なら平らだから!この先の急な登りまでは平らだと思いなさい」と、結構無茶なことを仰っている笑。
確かに登っている。それでも旧コースよりは楽だよな。今日は那須オロシもないし!26.5kmでスペシャル給水。ここでも一瞬立ち止まってしまった。ソルティライチを一口飲み、インゼリーを3回にわけて摂取した。ここで弓削田さんたちに一気に離された。むぅ・・・・やはり20km過ぎに弓削田さんと話をした時から後ろに付くべきだったのだな。そういう思いもなくはなかったが、ペースを落とすのも怖かったのよね。フルなら勇気をもってペースを落とす決断も必要だってことだろう。
27.7kmの給水。「えっ!」、コップが品切れのようだ!「なんだよ、さっきのソルティライチを持ったまま走れば良かった」と後悔。でも、給水切れは酷いよな。想定外の暑さが要因だろうが、マジで命に関わる。
蛭田交差点と言うところを左折、県道167号。ここで30km。係員が少なくて、なんかすごく寂しい30km地点だった。この5kmは29:07。この程度なら想定内。ただ弓削田さんご一行は完全に視界から消えてしまった。
ここら辺りで、監督車に幅寄せをされた。対向車が来るからだろう。そうであっても、もう少しランナーに配慮してもらいたいな。走りながら横に移動するのって結構なストレスなのよね。
31km過ぎて右折。31.5kmでスペシャル給水。メダリストを1つ、強引に破いて摂取。そんなにえぐい味でもなかった。ソルティライチで流し込む。このソルティライチの入った500ペットボトルは貴重だ。持ったまま走る。もっとも150ccほどしか入れていないけど。
32.3kmの給水。やはりコップが売り切れている。2ℓペットボトルのまま置かれていたスポドリをもらう。300cc位入っていたのかな。全部飲み干した。自分のボトルもまだ持ったまま。
32km辺りから前を見るとグワッと登っている!とはいえ田沢湖や榛名湖に比べれば屁でもない。無理をせずに・・・無理も利かないが・・・進む。GARMINの33kmまでのLAPが@6:21を示す。ま、そうだろうな。「ここを乗り越えれば、もう急な登りはない。あとはどれだけ粘れるか」との思いで進む。
頂上を越えてほっとする。左折してライスライン。34.4kmで2度目のスポンジ。メダリストでべたついた手を拭えてラッキーだった。
下ってからの34、35kmのGARMINのLAPは@6:01、5:56となる。35kmまでの5kmmは30:24。急坂で@6:21だったから、それを除けば@6:00ということ。「このペースで粘ろう!そのためには腰を落とさないように、高い位置で保とう」と心掛ける。これは普段から意識しないとダメなのだろう。
35km辺りからこのレース唯一のスライド区間。その入り口で弓削田さんとスライド。笑顔で「弓削田さん!助けて!」と泣き言を言ったら、鬼の形相を返された!なんと言われたか聞き取れなかったが、要は「甘えるな!」ってことだろう。久々に女性に怒られたわ!後ろでやり取りを聞いていた女性に「助けてくれませんでした」と愚痴た。お相手苦笑。
スライドを終えて左折、県道170号。スライドで計時した弓削田さんとの差は4:00程度。もっと開いているかと思っていた。約10kmで4分差をつけられたということ。弓削田さんご一行は@5:30を刻んでいるだろうから、1kmあたり24秒の差。つまりまだ@6:00以内、だから許容範囲内。実際GARMINの36kmLAPも@5:50。@6:00を切っている。大丈夫。
との思いで進んでいたら、冒頭のシーンとなるわけだ・・・。
「『関門まで1分半』の声を聴いた時にダッシュしていれば」との思いもあるが、それでも届かなかったことであろう。
捕まってしまった第4(最終)関門は大田原グリーンパークという施設らしい。まず、中学生かな?係員にゼッケンを切られて手交される。「捨ててもらっても構わない」と思ったけど、考えたら、貴重品受取りに必要なのだな。仕方ない、ポケットにねじ込む。350ccのアセロラPETを渡され、そしてすぐにバスに誘導される。「ストレッチしたいな。でも順番にバスに乗らないと迷惑か」と思って乗り込む。続々とランナーが来るのですぐに満席になる。満席になったら発車するものだと思っていたのに動く気配はない。「それならストレッチしてから乗れば良かった」と不機嫌になる。そもそも関門OUTにムカついているのだから!
動く気配がない。しばし時間が経過する。時計を見ると14:00を過ぎた。もう30分も待ちぼうけを食らっていると言うこと。そして走り続けていればゴールに執念で辿り着いているはずの時刻。
ようやく係員から説明がある。「まだ交通規制が続いているのでバスも走れない。もう少しお待ちください」だと・・・。おかしいだろ!過去にリタイヤバスには2度乗ったことがある。洞爺湖と佐倉。いずれも満席になったら、コース外の道路を通ってゴールまで運んでくれた。「交通規制に抵触しないところに関門を設置しろよ!」との思い。しかもバスはエアコンが利いていて寒い位。身体が固まってしまった。体調不良を起こしてバスから下車される方も出る始末。
やっと動き出したのは14:15位になってからだったか?14:25位には会場に着いたが、バスは体育館裏手に回る。思わず隣の席の方に「リタイアしたら裏から入れってことですかね」と話しかけた。お相手苦笑。
バスを降りる際には、それでも丁寧に爽やかに運転手、係員に礼を述べる。チップを回収してもらって、参加賞をもらう。今年のTシャツは黒。ほかに麦茶500PET、ヤクルト、トマトジュース、パン、4年前と変わらぬラインアップだな。少し移動して味噌汁をもらう。階段に腰掛けていただく。バスのエアコンで冷え、そして塩分の抜けた身体に、美味しく染み入るような感じであった。お世辞にも「熱い」とは言えない味噌汁ではあったが・・・。
体育館に入り、貴重品を回収して、陣地の観覧席最前列に戻る。もうストレッチをする意欲がなくなっていた。即、着替える。正装「釜石T」では初めてSUB4を逃したことになるのだなぁ。感慨にふける。
冬用ランシャツ、ランパン姿で使い捨てスリッパをつっかけトイレに向かう。案の定、がら空きの洗面台で全身を拭う。15:00頃、体育館を後にした。西那須野行きのバスは15:20頃発車。バスの中でJRの時刻表をチェックすると、次のJRは西那須野15:53発、宇都宮駅での湘南新宿ラインへの乗換え待ちはわずか2分とのこと。折角なら宇都宮駅でアルコールとアテを仕入れたいよなぁ。でも次のJRは40分後・・・悩みながら宇都宮駅に着くと、湘南新宿ラインが待っているのは向かいのホーム!「わざわざ階段を登って、さらに40分待ってまで急いで酒を飲みたいか?」と自問自答。「いや、さっさと帰ろう」と答えが出る。直ちに乗り込んだ。車内でビールの代わりに参加賞麦茶他を飲み干す。
後から考えたら、西那須野駅でビールやアテを買えば良かったのだよな。結構待ったのだから・・・おバカ!
17:43に大宮駅着、独り反省会としてどこかで飲むことも考えたが、やっぱりシャワーを浴びてサッパリしたい。真っ直ぐ帰宅。荷物を片付けて、水風呂で脚をicingして、シャワーを浴びて18:40頃から独り反省会を催した。
膝の痛みは感じなかったけど、念のためにサロンパスを貼って寝た。
翌24(金)は在宅勤務。昼休みに抜け出してリハビリランニング。5kmを@7:00程度で走り、二郎系インスパイアのラーメンを自らのご褒美とした。還暦SUB4はならなかったが、それなりに頑張ったとは思っている。
午後になって、本レポートを書き始めたのだが、やはり関門OUTには納得がいかない。だって「このままでSUB4は行ける」と思って走っていたのだから・・・
で、今回のコース、ならびに4年前までの旧コースの関門制限時間を検証してみた。
やっぱり!
どう見たって、今回の37.3km関門は制限時間がおかしい!あと2分、いや3分は遅くても良いはずだ!
レース前は「最終関門が前倒しされたのはラッキー」などと思っていたのだが、上表の通り「1.3km前倒しだが制限時間は10分も短くなっていた」のは残酷。1.3kmをSUB4ペースで走ると約7:30。従って最終関門は実質2:30も短縮されたこととなる。今回は最初からこの制限時間が明示されていたのだから仕方ないが、来年以降は是非改訂してもらいたいものだ。必ずやリベンジしたい!
次のフルは来年4月のかすみがうらの予定だったが、かすみがうらは天候次第で過酷なこともある、暑かったり、冷雨だったり・・・。還暦SUB4のためには冬のうちにもう一度フルに出ておきたい。
と思って、翌24(金)に「さいたまマラソン(開催日2/12)」にエントリーしようとしたら・・・・なんと定員に達したようで締め切られていた!「まさか、(不人気の)さいたまが〆切(11/30)前に埋まるとは!」って感じ。あとは・・・「2度と出ない」と誓った板橋シティしかないか・・・不本意ながら28(火)にエントリーした。当日あの風がないことを祈るのみ。
レース当日朝に話を戻そう。
5:45頃、自宅出発。牛丼屋で朝食を摂り、大宮6:45発の新幹線。那須塩原駅ではさっさと改札を出て、待機していたバスに乗る。新幹線を下りて4分後にバスが出発。スムース極まりなし!ちなみにこのバスには男性ランナーしか乗っていなかった。8:00前には会場に着いて、即、スペシャルドリンクを預ける。預けたのは20.4、26.5、31.5km地点の3ヶ所。これが正解かどうかはわからない。
体育館に入る際、すれ違ったのが招待選手の今井隆生。「あ!今井選手!頑張ってください」と咄嗟に名前が出たのはGoodJob。今井選手からは笑顔で「ありがとうございます」と返してもらった。予定通り、2階観覧席に陣地を構える。まずはトイレ。8:45には貴重品(スマホ、財布)を預け、オニギリ、大福を食して、9:00に外に飛び出た!
8月末に(恐らく)コロナ感染症を罹患し、大田原まで3か月を切っていたので間に合うか不安だったが、10月下旬の手賀沼ハーフを1:48で走れて、VO2MAXも49まで復活したので、コロナは言い訳にしないこととする。
大田原フルの総括。
還暦SUB4がならなかった。至極残念。ただ結果はDNFであるが、季節外れの暑さの中、自分なりのペースで37kmまで走れた満足感もある。次に繋げられれば良いだろう。
5kmごとのLAPは
5-27:27、10-27:28、15-27:02、20-27:10、25-27:32、30-29:07、35-30:24
30-35kmは30:24と赤信号のようにも見えるが、急な登りがあってのことで、36、37kmまでは@6:00前後で粘れていた。相当苦しい状況ではあったがSUB4は射程圏内だったのは間違いない。ただ、こうやって見てみると、やっぱり序盤は28:00前後で行くべきだったのだろうな。特に弓削田眞理子さんという絶好のペースメイカーがいたのだから、それを活かさない手はなかった。どうしても「26kmまでは下り、終盤登り。だから25kmまでに貯金を作りたい」との意識が働いてしまったのだろう。
自分の課題としては、スペシャルボトル。もう少し目立つように仕上げなくては!
以上
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