彼方より
思えば、遠くまできたものだ。
俺はすべてを捨ててここまで来た。
生業も、友人も、親も一切を捨てたのだ。
ただそうしてもよいということに気づいただけで、深い理由があったわけではない。だが、変わり映えのない日々に飽き飽きとしていたのだろう。
俺は今も一人で当てもない旅を続けている。
ある日、名もない山道を歩いていると、道の真ん中にロバが蹲っていた。
「大丈夫か」
声をかけるとロバは鬱陶しいと言わんばかりに顔を背けた。
「やめろ、やめろ。くだらぬ同情はいらん」
「俺はな、好きでこうしているのだ。志半ばで行き倒れたわけでもなく、望んでこうなっているのだ」
「浮世のしがらみが嫌で一人で生きてきた、雨の日も、雪の日も、嵐の日もな」
「だのに、最後の最後にお前がそうやって見せた薄っぺらな同情がわしの生を汚すのだ」
随分な言い草だと思った。誰でも行き倒れている者がいたら、多少なりとも心配するであろう。
少し逡巡したのち、やはり納得がいかなかったので、俺はロバに言い返そうとした。
「…」
よく見ると、ロバの身体は身じろぎ一つしていない。
死んでいた。好き勝手に放言したかと思ったら、次の瞬間には死んでいたのだ。
「なんという勝手な奴だ」
だが、ある種の尊敬の念を抱かずにはいられなかった。
このロバは、もはや過去は知りえないが、恐らく今までこのような偏屈を突き通し、ここで死ぬことにより、その生を貫徹したのだ。
たとえ同じようなすべてを捨てた放浪者という身の上であっても、
俺みたいな、浮雲のような生を送る人間には想像もつかない一生だ。
「お前の事は覚えておこう」
俺はそう一人ごちて、ナイフを取り出すとロバの身体を解体し始めた。
例え、彼がどのように意志の強い生き物であったとしても、死後はそうもいかない。
俺がこうして、好き勝手にナイフを突き入れても文句の一つも言えないのだ。
しばらくしたのち、ロバの身体は綺麗に解体されていた。
俺は火を起こすと、肉を木の枝に突き刺して焼き始めた。
「少なくとも、お前はもう少し長生きするべきだったな」
「もし、俺と別れるまで生きてさえいれば、こうやって食われることもなかったであろうに」
ふと周りを見渡すと、辺りには夜の帳が下りていた。
ぱちぱちと弾ける火花が照らす向こうには、また見たことのない街が見えている。
「せいぜい、俺は生きるとしよう」
焼けた筋張った肉に噛り付くと、やはり、あまり美味しくはなかった。
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