オーケストラデビューはコントラバス
私のオーケストラデビューはコントラバスであった。オーケストラ部のある高校に進学したのだが、オーケストラデビューは入学した4月のことであった。
私の高校では、ゴールデンウィークに定期演奏会があり、新入生は定期演奏会が終わってから配属された各パートで練習を始める。4月の1か月間はお試し期間であり、パートを選ぶ期間であり、先輩たちの練習を見学する期間であった。
高校入学時の時点で、私は既にバイオリンを10年以上弾いていた。それと同時に、コントラバスの経験も既に3年あった。高校入学時にコントラバスを既に弾けるという生徒はかなりめずらしい。私の高校では前例がなかったし、私が卒業してから20年以上たった現在でもコンバス経験者として入学してくる生徒はいない。入学時点でバイオリン経験が10年あったので、先輩方は私が当然バイオリンパートに入ると思っていたらしい。
バイオリンの希望者が多すぎて人数調整ということになればコントラバスパートを選ぼうと思っていたが、人数調整がなければバイオリンパートに入るつもりであった。4月はまだパート決めの段階なので自分のバイオリンは学校に持って行ったことがない状態であった。
そのような状況の中、先輩方が悪乗りで、「定期演奏会の全体練習を見ているだけじゃつまらないだろうから、乗ってみたら(笑!」と声をかけてくれたのがきっかけで、急遽私のオーケストラデビューとなった。声をかけてもらった時に、「バイオリン持ってきてないです」と答えたところ、「今日のコンバスは休みだらけだし、学校楽器もあるから大丈夫」とのことで、コントラバスになってしまった。曲はチャイコフスキーの交響曲6番「悲愴」だった。
初見で悲愴を弾くとは、我ながら怖いもの知らずだったんだなと今となっては思っている。それどころか、悲愴の曲を音として聞いたことがなく全く知らない曲であった。実際に弾いてみて、当時の私は「細かいところは弾けてないところも多々あったが、落ちずに済んでよかった」と一安心をしていた。むしろ、悲愴をバイオリンで初見とせずに済んでよかったと思ったくらいである。
練習が終わった後の先輩方は「まさか本当に弾くとは(爆笑!」と本当に大爆笑であった。私は、弾けたとか間違えたとかというより、このことで先輩と仲良くなれたのが最大の収穫だと思っている。当時の先輩方とは卒業20年を過ぎた今でも仲良くしてもらっている。少しだけ、「オーケストラデビューが何でバイオリンじゃなかったんだろう?」という心残りみたいなものがあるが、その後の私の活動や考え方からするとむしろオーケストラデビューがコントラバスで良かったとも思っている。