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Revenant Doll 最終話

第3部

13 「透明なる管理者」の行方

 
「『龍神のお告げ』……ですか……」
 
 座光寺家の執事は首の後ろに手を当て、瞑目して頭をのけぞらせた。何か重要な事柄を思い出そうとするかのように。ベンチに並んで腰かけている私たちの目の前で、両親に付き添われた幼児たちが砂場遊びに興じていた。
 中央分離帯に設けられたこの公園に、彼は座光寺信光とともに幾度か日光浴に訪れていたのだそうだ。
 
「それでその男は、実行犯にはどんな指示を出していたのですか」
「どうも、はっきり殺害を命じたわけじゃないようです」
 
 私はそこで、執事の反応を窺った。彼は先を促す様子で沈黙している。

 国粋主義団体「興亜匪躬ひきゅう会」の会頭であった八十島春鶯やそじましゅんおうは長田警部の調べに対し、栗原らへの指示は認めたのだが、殺意は明確に否定していた。
 
「『けしからんやつだから懲らしめておけ』と言っただけだそうです。これは実行犯たちの供述とも一致してます」
 
 今、私の手元に一枚の写真がある。長田警部の日誌に挟まれていたものだ。葉書大横長の白黒で、裸電球の下に四人の男が並んで写っている。向かって左から栗原儀一郎、野崎純平、仁木正夫、吉田松吉。写真が挟まっていたページに、キャプションを意図したらしい長方形の枠が書き込まれ、並び順に各人の名を記入してあった。
 左端の栗原だけがレンズに視線を向けていて、他の三人は皆俯いている。写真の撮影日時は不明だが、たぶん犯行前のものだ。私にそう確信させたのは栗原の顔だった。目を大きく見開き、不敵な笑いを浮かべる表情全体に狂気がみなぎっている。人を殺すと決意した人間の顔。
 そしてこの写真を撮影したのは誰だったのか。取り調べを受けたのが四人だったからといって、事件に関与したのはそれですべてだという保証はない。他にも関与した者がいたなら、その者たちはどこへ消えたのか。
 
 八十島の指示を受けた栗原ら四人は犯行の五日前、浅草の吉田松吉宅で打ち合わせをした後、「景気付け」として、吉田が用意した上物の阿片を吸引した。その際「龍神」が四人に同時に降りて来て、「国家に仇為す津川俊助には不逞の輩にふさわしい天誅を」と命じたのだという。
 恐らく写真はその時に撮影されたものだろう。
 この時彼らは、阿片による酩酊の中、鬼の首を落とす幻視をも共有した。かくして鬼の征伐者となった四人は、鼻息も荒く事件現場へ乗り込んでいくこととなった。栗原は「龍神が俺たちの体に乗り移ったのを実感した」とまで言っている。
 
 奇妙なことに、「龍神」についての供述は藤山はつ子の取り調べでも現れている。はつ子は署内で急死する前日、「津川俊助は龍神様のお怒りに触れた」と供述したと、長田警部は日誌に記している(彼は既に「捜査」の第一線を離れていたが、情報は担当刑事たちから逐一入手していたらしい)。日誌によると、彼女はこんなことも言っている。「龍神様は自分に降りて来た。自分は龍神様と契りを交わし、その妻になった」。
 昼夜を分かたぬ拷問同然の取り調べで生死の境をさまよっていた彼女が、どんな状態で漏らした言葉なのか想像もつかないし、この段階では長田氏が捜査主任を外れていた事情も考慮しなければならないだろう。
 長田警部に全幅の信頼を寄せるならば、津川俊助殺しで「龍神」が初めて登場するのは犯行五日前の会合だ。しかしその一方で、藤山はつ子が実行犯たちよりも先に龍神の干渉を受けた可能性を否定する理由もない。
 
「実行犯たちが、ボスの真意を過剰に慮って殺害に走った。そう解釈するのはちょっと無理がありますね」
「まあ確かに」
「でもねえ執事さん。私は『龍神』が主犯だとは思ってませんよ」
「そうなのですか?」
 
 エドガー・マコーリー氏は首の後ろに手を当てたまま薄目を開き、凝った首をほぐすかのように頭をゆっくり左右に傾けた。
 
「主犯だと仮定するなら、その動機は何かということになる。そこで責任能力が問われます。一般的に『神』というやつは責任を超越してるから始末が悪いんですが、彼が四人にお告げを出した時点で責任能力があったのかどうか。……いや、厳密に言うと、彼が最終的な責任者だったかどうかも分からないじゃないですか? 『命令の受け渡し役』に過ぎなかったなら、そこに動機は存在しない。とても主犯とは言えません」
「なるほど」
 
 座光寺家の執事は深く息を吐いて、再び天を仰ぐ。
 
「信光が以前、こんな話をしておりました。象徴──信光は『パスワード』と言いましたが──に過ぎぬ神を、黒子である管理者が支配しているのが世界の現実だと。人間がそうした秘密を隠すために何でもやりかねないのは、端的に責任逃れのためです。責任を引き受けてくれる生贄を探すのが、透明な存在たる管理者の本能ですからな。実行犯たちに神意を伝えた龍神をそうした象徴と見做すのであれば、……信光は無罪ということになるのですか」
「法的には、責任能力なしと結論されると思います。原理的にどうであるかは、私が答えていいことではないでしょうね」
 
 より正確に言うなら、前世紀のそれはともかく、八カ月前の殺人・・に関しては間違いなく彼には責任能力があった。しかしそれが法律の及ぶところでない以上、私が言及するのは適切ではない。そして前世紀に起きた「本件」に関して、信光以外の「透明な存在たる管理者」がいたのであれば、その者の罪を問うことはできるのかどうか。私にはやはり答えられない。
 
「分かりました。今のお話は、信光の父親である当主に伝えてもよろしいですか?」
 
 私はどうぞ、と答えた。

 誰が殺意を抱き、最終的に殺害を決めていたのかは、蛇が闇に潜り込むようにするりと消えてしまう。刑事を十六年やってきて、こういう結末に遭遇するのは一度や二度ではなかった。

 信光の最期の模様は、奇跡的に帰還を果たしたエドガーの手下によってもたらされた。彼は二人の自由を奪った上で、津川俊助の怨霊を道連れに入滅した。信光の霊体に転移した状態で暴走した霊的アイテムの効力も同時に消え失せ、二人は現代に戻ることができたのだという。
 嬉野小学校校舎の解体を妨げていた霊障もすべて消滅した。在校生はヒカリヶ丘市内の中学校に設けられた仮設校舎に通っていたが、「六年生の卒業式は母校で」という関係者の希望から解体工事はさらに半年延期され、この四月に再開される運びになっている。新校舎が完成するのは二年先になるという。
 砂場で遊ぶ親子を、六分咲きとなった桜が見下ろしている。日差しは暖かいが、時折、肌寒さを感じさせる風が吹き抜けていく。
 
「その後いかがです? 信光君の容態は」
「相変わらずですな。外傷がないせいなのか、若いだけに体力があるということなのか……」
 
 あれ以来ずっと昏睡状態にある信光の生命機能は、緩やかではあるが確実に衰えているため、医師は「あと一年が限界」と予想していた。「生ける屍」の状態であっても、彼が父親として我が子と対面できる時間はまだ十分にある。
 
「それと先日、水際佳恵様から連絡がありまして」
「ああ、例の。彼女が何か」
「座光寺の籍に入っていただけるとの由でございました。出生前診断をお受けになったそうですが、女の子だそうで」
「ほう! 座光寺家の後継者が女性に……おっと、大変失礼しました、信光君はまだ」
「いえ、同じことでございますよ。既に信光は入滅しておる以上、あれは抜け殻でしかありません。神の被造物に不滅などあり得ないのです。……ただ一つを除いては」
「それは何なのです?」
 
 契約です、と執事は答えた。
 
「それが契約である限りは、この世界で唯一不滅であり、そして実行されねばなりません。信光あれはそれを信じて入滅いたしました。当家の嗣子ししである立場に背を向けたわけですが、私どもはその意思は尊重したいと考えております。ご理解いただけますでしょうか」
 
 守り役だったエドガーが「深入りするな」と諫言すればするほど、信光は深みにはまっていった。「犯行現場に戻りたがる習性」などと軽々しく言うつもりはない。自滅へと突き進むことを、進退窮まった彼が責任の取り方として選んだのかどうかも分からない。だが、守り役の言う「契約」に彼が最後まで忠実であったなら、それはそれで一つの救いだろう。

 言うまでもないが、仮に何かが起きて病室のベッドに横たわる彼が意識を取り戻すことがあったとしても、私は事情聴取しようなどとは思わない。我々はそんなに暇ではないし、第一、起き上がった者が信光当人であるはずもない。座光寺信光は間違いなく、この世界からいなくなった。
 
「身内の恥をさらすようですが」
 
 エドガーは苦笑を浮かべ、そこでいったん沈黙した。再び語り出すまでに数秒の間があった。
 
「当家も長く続いてまいりましたから、別に信光が最初というわけではないのです。つい最近ですと、先々代の子も男子一人でしたが、十八の時に精神に異常を来しまして。精神病院で四年過ごして亡くなりました。ですから先代は養子なのです。実は今回についても、以前から最悪の場合の備えはしておったのです」
「そうでしたか。ご苦労なことでした」

 案の定だ。 結局は何も変わりはしない。

 だが、信光がそうであったように私も、一つの契約を証明する「記録」として今、ここに存在している。肉体と霊がこの世界にある間、契約の秘められた内容を知ることはできないかもしれない。それでもいつの日か必ず履行され、そこに記された事柄は実現する。自分のどこかでそう信じているのだ。

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