[漫画レポ]進撃の巨人20巻
めちゃくちゃ印象に残った漫画を紹介したいと思います。
※読んだことがある人向けです。
あらすじ
『進撃の巨人』第20巻では、エレンたちがウォール・マリア奪還作戦を進め、ついにシガンシナ区へと突入します。リヴァイ班とエルヴィン団長がシガンシナ区に到着し、作戦を開始しますが、獣の巨人、鎧の巨人、超大型巨人らが立ちはだかります。激しい戦闘の中で、リヴァイが獣の巨人に迫り、エレンたちが超大型巨人との戦いに挑む重要な展開が描かれます。
印象に残ったところ
私が特に印象に残ったのは、獣の巨人が投石を行う中、エルヴィン団長が残された兵士に突撃を命じるシーンです。
獣の巨人は遠くから岩や瓦礫を投げつけ、調査兵団の兵士たちを次々と殲滅していきます。この投石攻撃は極めて効果的で、多くの兵士が命を落とします。エルヴィン団長は全滅の危機を悟り、自らの命を犠牲にしてでもリヴァイに獣の巨人を討たせるため、残された兵士たちに突撃を命じます。この突撃は、リヴァイが獣の巨人に接近する時間を稼ぐためのものでした。
とある兵士とエルヴィンの会話
突撃前、ある兵士がエルヴィンに疑問を投げかけます。
兵士:「俺たちは今から…死ぬんですか?」
エルヴィン:「そうだ」
兵士:「どうせ死ぬなら最後に戦って死ねってことですか?」
エルヴィン:「そうだ」
兵士:「いやどうせ死ぬならどうやって死のうと命令に背いて死のうと意味なんか無いですよね?」
エルヴィン「まったくその通りだ」
兵士「…!」
エルヴィン:「まったくもって無意味だ。どんなに夢や希望を持っていても幸福な人生を送ることができたとしても岩で体を打ち砕かれたとしても同じだ。人はいずれ死ぬ。ならば人生には意味がないのか?そもそも生まれてきたことに意味は無かったのか?死んだ仲間もそうなのか?あの兵士達も…無意味だったのか?
いや違う!あの兵士に意味を与えるのは我々だ!あの勇敢な死者を哀れな死者を想うことができるのは生者である我々だ!我々はここで死に次の生者に意味を託す!それこそ唯一!この残酷な世界に抗う術なのだ!兵士よ怒れ兵士よ叫べ兵士よ戦え!」
その後、リヴァイは見事に獣の巨人を追い詰めますが、ジーク(獣の巨人の本体)は逃げられてしまいます。
人生の意味とは?
兵士たちは死に向かって突き進んだように、私たちも日々、死に向かって生きています。早いか遅いかの違いこそあれ、最終的な結果は皆同じです。お金持ちや名声を得た人でも、一般の人でも、その結末は変わりません。エルヴィンの言葉を借りるなら、ある意味で人生は無意味かもしれません。しかし、現代の恵まれた生活の中では、こうした当たり前のことを忘れがちです。
私も、時にお金や地位で優れた知り合いを見て、焦りや不安、羨望を抱くことがあります。自分が遅れを取っているように感じるからです。その感情が努力の原動力になることもありますが、結果的にメンタルヘルスが悪化する場合が多く、良いことはほとんどありません。
この漫画が描くように、早いか遅いかに関わらず、始まりと終わりは同じです。誰もがそれぞれ異なる道を歩んでいます。直線の道もあれば、曲がりくねった道もあるでしょう。他人の道を見て「頑張ってるな」と思う程度で良いし、転んだ人を見たら「少し手を貸そうか」と思うくらいがちょうど良いのではないでしょうか。焦る必要はありません。一歩一歩、自分の道を進んでいけばいいというわけです。
今回はここまでにします。また、漫画に関する記事は今後も続けていきたいと思います。
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