belief
とても悲しい出来事があって、ここ数日言葉にならない想いでいっぱいだった。
身内に起こったことではないけど、身内だとか他人だとか本当にどうでもいいと言うか、そんな境界線にも容赦なく破壊的な現実と虚無感と、そして無力感にも襲われていた。
悲しい波が来たら泣いて、悲しさは悲しさとして出した。
それは今の私がしてあげられる唯一のことなのではないかと思った。
ここまで書いたらわかると思うので書くと、ひとりの命が失われたのだ。
昨日の夜、寝る前に変性意識に入ると、その子と繋がることができた。
久しぶりに聴くその声は生前と何も変わらず、拍子抜けするくらいだった。
数日間その子に対して「どうして」と投げかけていた答えだったのだろう、
「わかってる」
と言われた。私には意味がわかったけど、ここでは割愛する。
向こう側では忙しそうな空気と、幾何学の世界のような、多次元世界での新しい学びにその子がワクワクしているような雰囲気まであった。
そしてそのまま眠りに落ちると、夢を見た。
夢の中で私は街中にいて、高いビルなどの建物を見上げていた。
何かが起こるのを待っている。もうすぐ始まるはずだ…。
その時、言葉で説明するのは難しい形状の空を飛ぶものが上空に現れた。
言葉で説明できないなら絵に描けばと思うかもしれないけど、絵に描いたら時間もかかるし大作になるようなモノなのだ。
機械的であり、幾何学的であり、でも有機的でもある巨大なそれが、ビルの合間を飛んでいた。
夢の中でそれは「有名アーティストの最新作」だと言われていたので、インスタレーションを観ている設定らしい。
そこから他のビルの上空にも不思議な「作品」が現れ、最後はどこかの屋上で15人くらいの人がペダルを漕いで動く巨大な三角形の作品を観た。この最後の作品はレオナルド・ダ・ヴィンチのデッサンに残っている数々の発明品にも似ている気がした。
朝起きて夢を調べてみると、美術品はあなたを生かすもの、魂を豊かにするもの
美術館はより高き自己を探求する謙虚さと素直さを表す、とあった。
『美術品は、それなくしては生きていけないという類のものではない贅沢な活動ですが、私たちは想像力が世の中を変えていくということを、どこかでわかっています。
自分の人生を改善してくれる状況や品物、出来事を夢想していること。
時に悲しみを喜びに変え、あなたの心を満たします。(一部抜粋)』
これを読んで、ああ、そうか、と気づいた。
悲しさを悲しさとして泣くことが唯一してあげられることだと思ってしまってたけど、そうじゃない。
私には想像力と創造力がある。
しかも、それこそが私とその子を繋ぐものだった。
そう思ったら軽くなって「私には他にもできることがある」と思えたのだ。
だから思いついたことはやるし、noteにも書こう、と思えた。
「他に選択肢がない」と思う時、私たちは有限の状態に陥り、制限の中にいる。
でもその制限は幻で、制限があると自分が信じているだけ、そう信念を持ってしまっているだけなのだ。
物質界だけにフォーカスすることも制限を作る信念かもしれない。
物質界ではこういうことが起きているけど、その裏側では?
エネルギーの動きや魂の視点ではどうだろう?
本当はそこで、何が起きている?
世界はわからないことで満たされているけど、私たちがいつも無限の可能性に包まれていることだけは、信じていたいと思う。