ショートショート⑤~お見舞い~

見上げると白い天井、吊られた手足、そしてがちがちに固定された首。
ほんの少しも動かせない、喋ることも見ることも聞くことも何不自由ないのに、動けないというだけで非常にストレスだ。
僕はこの前信号無視してきた車に跳ねられた、幸い命に別状はなく、強く頭を打ったけれど脳に異常はないようだ、丈夫な体に生んでくれた親に感謝だ。
とは言ったものの先ほどお話しした通り体の身動きが全く取れないため暇で暇でしょうがない、当たり前とはこれほどに有難く貴重だったのだなと思う次第であるが今じゃなくてもいいと思うのだ。

ふと時計を見ると4時を回っていた、暇な1日の中で唯一の楽しみの時間がやってきたと気持ちがその時だけは少しだけふわっと宙を浮かぶ。
病室のドアが開く音がして、区切られたカーテンを開けて彼女が入ってきた。
「調子どうよ」
「もう見たまんまだよ、元気は元気だよ」
それは良かったとベージュの丸椅子に腰かけ僕を上から覗いてくる。
「しばらくこのまんまなんだっけ」
「少なくともあと1月はこのまんまだよ…体動かしたいなぁ…」
そう弱音を吐くと彼女はガチガチに固められた足のギプスを軽く叩いた。
そんなに力は入れてないだろうに、妙に足に響いて思わず痛みで顔をゆがめる。
「今はちゃんと治す、でしょ?」
しっかりとした顔立ちの彼女はいつも朗らかだがたまに鋭い目をして僕をちょっと叱る。
その目で言われるとうんと頷くほかない、そういう説得力がある。
大学の演劇サークルでトップを張る演技派の彼女の一面がたまにこうして顔を覗かせる。
「そんなしゅんとしないでよ、誰のために毎日お見舞い来てると思ってんの?」
そう言った彼女の表情はいつもの柔らかで朗らかなものに戻っていた。

差し入れと持ってきてくれたリンゴを頬張る…ことはできないので食べさせてくれるらしい。
ちょっと危なっかしい手つきで皮をむくと、少しだけごつごつした形になった。
「はい、あーん」
彼女はなんだか餌付けしてるみたいと1人笑っている、ケタケタと笑う彼女の声が僕はとても好きだ。
「ほれ、まだまだあるぞ、あーん」
5つ目ぐらいからおなかがいっぱいになってきていたし、おそらくそれは顔に出ていたと思うが、それすら面白いらしく、またケタケタ笑いながら僕の口にリンゴを運ぶ。
僕は満腹で苦しいと思いつつも、その笑い声が聴きたくて少し意地を張って丸々1個分切られたリンゴをできるだけ時間をかけて食べる。
1日のうちのこんな瞬間が僕にとってとても楽しくありがたい時間だからだ。
これは僕とあなただけの秘密だ。

「じゃあ私そろそろ帰るね、ちゃんと治してよ、看護婦さんに迷惑かけないようにね」
しっかりと帰り際に言いつけを残して彼女はささっとからし色のダッフルコートを着て、カーテンの向こうに行ってしまった。
少し寂しい、やっぱり寂しいと思っていたら察したように彼女がカーテンの隙間からひょっこり顔だけ出してきた。
「また明日ね」
そう言った彼女の顔はなんだか嬉しそうだった。
毎日ありがとうと言うと柄にもなく顔を真っ赤にしてぴゃっとカーテンを閉めて帰って行った。
すれ違いでやってきた看護婦さんが彼女さんかわいいねと話しかけてきた。
あぁ、かわいいんだ彼女は。
だから早く自由に動けるようになってデートに行きたい、治って退院するころには少し暖かくなっているだろうか。
ピクニックもいいかもしれない、その時はお返しに僕がリンゴを切ってあげるんだ。
そうしてまた白い天井を見上げた、明日のお見舞いを楽しみにしながら。

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