見出し画像

連休が終わってやれやれ。

年度末だから何かと忙しそうな人が多い。
夫も確定申告の準備やら、春からの仕事の調整とか忙しそうだし、精神的にもお疲れモードマックス。

以前ならそんな夫をみると、あれこれと気にしてアドバイスしたり、マッサージしたり、機嫌をとってた。
夫の不調は私の不調。
夫婦は一心同体みたいな。

そこからはずいぶんと離れられてきたけれど、やはり何かあるとすぐに戻りそうになる。

お盆や年末年始など 家の行事とか親戚の集まりとかがあるような時は要注意。
引き戻されてしまい、自分でもその事に気付けず混乱してしまう。

手に持った物を目の前に出せば視界は遮られる。
でも、それを持ったままでも、その物を下げて膝に置けば視界は広がる。

認知行動療法でやってたワーク。

そのまんま。私は恐ろしさで手に持っている不安や怖れを目の前にかざして周りが見えなくなって誰もいなくて混乱してた。

子どもや夫が実家に帰り、親戚みんなと楽しく過ごしているだろうと、一人の自分が可哀想で惨めで哀れだった。
それを認められず一人の方がずっとマシ!と思い込んでる自分に混乱してた。

手放したつもりが握りしめてかざしていた。
面倒なやつだ。

いろんな事をえらそうに自分に言い聞かせても、何も楽にもならない。
私は誰にも理解されずにいる可哀想な子どものまま。
心は子どもで不安定なのに、立派なおばさんの私。
周りの人はみんな立派な強い大人に見える。
私だけが言いたいことも言えない、愚かな子どもに見える。

そんな不安定な気持ちが、私を混乱させて、小さなものが途轍もなく大きく見えて押しつぶされそうな気持ちになる。
それはフラッシュバックというやつなのか?

あなたはここにはいませんよ。
あなたは恐ろしい世界にいる子どもです。

カウンセラーに言われた時には全くわからなかった。
逃げてきて、ここは安全と思っていたのに、違うのか?
では、私の安心安全な場所はどこなの?

それは、自分で作るしかないのだった。

いろんな事を懸命に学んだつもりだったけど、そんなにうまくいくはずもない。長い時間と労力がかかるものなんだ。

頭と体と心が分離してるような思考の私には、長い時間がかかる。
それをゆっくりと待てないのもまたこの思考のなせる技だろう。

すぐに大きな変化を求め、ダメならやめてしまう。
継続していくことが難しい。

そういう特徴があるのだそう。

いろんなことが起こるたびに、それは必要なことだったのだと思う。
私にとっては悲惨な経験も、もう嫌だと思うことも、その時の私には必要なことだったのだと。

なので、今起こってることも、必要なことなのだろう。

夫との距離感、親子の距離感、それぞれの事がだんだんと変わっていくのだろう。

こんなに時間をかけてきたのだから、私は違う人間くらい変わってて良いはず!
そんな傲慢な気持ちもあった。
なのに、まるで変わらないような自分にうんざりしてた。

でも、時間と共にやっとそんな気持ちも手放せてきた。

私は私。
人は人。
私だけが私を理解できる唯一の人だ。
私のことをわかるのは私だけ。
だから、私の気持ちを伝えなければ何も伝わらない。
相手もそう。
言わないのに察するなんて最悪。
そんなことが優しさとか愛情だなんて無理。

夫は察してくれる妻が好きだった。
面倒な事は先回りして、気を利かせて俺を大事にしてくれてる妻。
俺の事を優先してくれる妻。
疲れた俺の事を大事にしてくれる妻。

そんな人を求めてる。

私は、もうそんな妻にはならない。
私は私の気持ちを優先する。
誰よりも私の気持ちを一番に聞く。
それから他のことを考える。

こんなことは考えなくても普通はしてるだろう。
私は出来なかった。
だから今頃になってやらなくてはならない。
自分よりも親、夫、子どもが優先。
自分になんか価値はない。
誰かのために役立つことが価値。
どんな人からも良い人に見られるように振る舞うことが必須。
周りの空気を良くすることも必須。

そんな決め事ばかり、ダメ出しばかりの思考で生きていた。

やめようとしても、染み付いて離れなかった。
長いこと繰り返し繰り返しやってきた。
行きつ戻りつやってきて、やっと少し息がしやすくなった。

この連休も息苦しいことだった。
夫の不機嫌や、不満を、つい自分のことのように取り込んで責めそうになる思考を捨てるのは。

最初は泣くほど恐ろしかった。
自分が嫌なことを嫌というだけで。
私が傷ついた夫の言動を問いただすことだけで涙が出た。
恐ろしいのだ。
大人の男に自分の気持ちを話すのが。
以前の凍りついてた私なら、何も怖いものはなかったのに。
解凍して、小さな私を見つけて助けようとしていたら、こんな些細なことでさえ恐ろしい弱くて可哀想な繊細な私がいた。

人にはそれぞれ事情がある。
育った環境も違う。
だから、同じ人なんかいるはずもない。
なのに、自分と人は同じ世界にいると思ってる。
だから、理解できない。
想像も出来ない。

あなたにはなんでもないことが私には凶器であったりすることを。
あなたには何気ない事でも、私には倒れそうなほどに疲れ果てることであることを。

誰でも人のことなどわかるはずもない。
だから、とても疲れるけれど相手の話はよく聞かないと。
話すということは本当に疲れることだ。
わかったつもりで聞き流してしまう方がずっと楽。

でも、もう戻れない。
どんなに傷ついても平気な顔したり、
嫌なことを我慢して平気な顔したり、
嫌なのに無理して平気な顔したり出来ない。

自分をそうやって蔑ろにして勝手に大丈夫だと思い込んでいるなんて出来ない。

やっとその時に感じる怒りや不満を出せるようになった。
そしたらとても楽になった。
その時の感情をそのまま出せるってこんなにスッキリして気分が軽くなるなんて知らなかった。

我慢して、無理して飲み込んだ怒りや不満は、私の胃の中にヘドロのように溜まり膨れ私を不調にする。
これまでに、そんな溜め込んだヘドロをどれくらい吐き出しただろう。
何十年分の物を延々も吐き出した。

やっと最近はそんなことを感じなくなった。

誰かにわかってほしい。
誰かと繋がりたい。
誰かと仲良くなりたい。
そんな気持ちに振り回されてたけど
諦められた。

自分と繋がってないのに人に求めるなんて無理。
私が私を守って、認めて、繋がっていくことが一番最初のことなんだから。

道は遠い。
でも、螺旋階段だからきっと変わってないように見えて結構登ってることもあるだろう。

ボチボチとやり過ごしていく。
休日も平日も、私なりにやっていこう。
良い悪いはジャッジしないで。

私は私を生きてみる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?