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いつもマイノリティ

私は現在53歳。
気がつけばいつも少数派にいた。
今イタリアにいるのにイタリアのことをいつまでたっても書かずに自分の人生の振り返りをしていること自体、究極の少数派なのではないか?

生まれた場所は仙台市。
私は三姉妹の末っ子。
血液型はAB型。
私と同病院、同日に生まれた子は三兄弟の末っ子。
二人の母たちは苦笑いし合ったそうだ。
お互い「今度こそ!」と思っていたらしい。
そんな期待薄めからの人生のスタート。

学校の新設や家族待望のマイホームへの引っ越しのため小学校は3校、悲しい事情でマイホームを売却し新たな生活を始めるための引っ越しで中学校は2校通った。
幸運なことにどの学校でもおもしろい友だちをつくることができ、それなりに楽しい学校生活を送ることができた。

高校は自由を謳歌するために、公立高校の大学みたいな雰囲気の学校を選んだ。
標準服と言われる制服があり、気分によって制服を着たり私服を着たりすることができた。中学校のセーラー服をあえて着てくる子もいたりと、とにかく自由だった。
自由を謳歌しすぎたせいで進学を考える時期があっという間に訪れた。
その時は苦労せずに入れる専門学校を簡単に選んでしまった。
時代はバブル絶頂期。私も図に乗って浮かれすぎていた。

専門学校は幼稚園教諭の資格が取れる学校に通った。大学の附属だったため、大学のテニスサークルに入り、コンパや飲み会で夜な夜な遊び、学校の授業はサボりまくり、友だちのノートを借りて適当に課題をやり、なぜかテストには通るという生活を続けていた。
このままいけば幼稚園に就職できると面談で言われ、私はさらに浮かれた。
そしてとうとう仲良しの友だちから生まれて初めてはっきりとしたいじめ?を受けるようになった。友だち全員から無視されたのである。
私は彼女たちに泣いて謝ったが許してはもらえなかった。当然だ。当時の自分とは絶対に友だちになりたくない。その後クソ真面目になる自分とは真逆の人間なのだから。
まあ、でもクソ真面目もどうなのかなと53歳の私は思う。
(次回につづく)

イタリアでは「武子さんのスニーカー」でさまざまな場所を歩いています。
こちらについても少しずつおしゃべりしていきます。

ドゥオーモ前の広場のイルミネーション
今の時期の夕方17時前くらいが好きです

ここはトスカーナ州のピストイアという小さな街です。映画館、レストラン、バール、様々なお店がほどよくあり、とてもきれいでおしゃれな街です。
イタリア語の読み方は、ローマ字に慣れている日本人にとってはとても簡単だと思います。

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