見出し画像

イタリアその6

イタリア人のおしゃべり好きには本当に感心する。なぜあれほど話し続けることができるのだろうか?
街を歩いていても、電車に乗っていても、携帯電話で楽しそうに長ーいおしゃべりをしている人が必ずいる。
ピザからフィレンツェの約1時間の電車の中、ずっと話し続けていた強者の方もいらした。
他人のおしゃべりを気にするイタリア人はあまりいないようだ。
イタリア語の音が好きな私は、イタリア人たちのおしゃべりが、いつもかかっているBGMのように感じるので、むしろ歓迎するくらいなのだか、つねに静かな環境を求める人々にとってはたまったもんじゃないと思う。
しかし、これを回避することはイタリアでは絶対に不可能なので、どこの国の人でもきっとすぐに慣れてしまうだろう。

イタリアは街中にバール(カフェ)があり、そこでは老若男女がおしゃべりをしている。
70代くらいの男性が複数でエスプレッソを飲みながら楽しそうにおしゃべりをしている姿を見ると、私はとても嬉しくなる。
今日は私がいたバールに警察官がドヤドヤと6人くらいで入って来た。
おそらくそうなんだろうなと思ったが、案の定事件ではなく、彼らはエスプレッソを飲んでおしゃべりをして出て行った。
ああイタリアよ。

明るい話題で人とおしゃべりをするのはとても楽しい。
おしゃべりした人と別れた後も清々しい気持ちで次のことに進んで取り組みたくなる。
たとえ暗い話題になったとしても、「そんなこと気にするな」と豪快に笑って言ってくれる人がいれば、その瞬間に暗い話題自体がバカバカしくなるのではないだろうか。
私はそんな太い木の幹のような(豪快に笑ってネガティブを吹き飛ばす人に対する私のイメージ)人間が好きだ。

明確な話題があれば、1時間くらいは一人で話し続けることができるイタリア人は少なくないのではないか?
これにはイタリアの教育が深く関係していると私は思っている。
イタリアでは小学校から筆記試験に加えて口頭試験が行われる。
口頭試験は学んだことについて、先生からの質問に何も見ずに答える必要がある。
質問内容は「〜について説明しなさい」というもので、一言で答えられるものではない。
小学校はそれほど難易度は高くはないようだが、中学校以降は自分の頭で考えて、それを順序立てて論理的に説明することも必要になるため、自然と話す能力が高くなっていくようだ。

この口頭試験は学生にとって、たくさんの勉強が必要となるが、小学校からそれが当たり前なら、私自身はその方法で教育を受けたかったと思う。

イタリア人がおしゃべり好きな理由はそのような素地があるからだと強く思う。
日本人でも好きなことは無意識に立板に水の如く話せる人は多い。
素地がなくてもイタリア人並みに話せてしまうような好きなことをたくさん増やしていきたい。

日本に帰国したら、以前日本映画専門チャンネルで録画した「山口百恵と三浦友和のゴールデンカップル」の映画を観て、熱弁をふるいたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?