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ある八百屋の話 ~価値に見合った対価を払う~

少し前に家族経営の商店街の八百屋さんに密着したテレビを見た。
店主さんは新聞広告を見て他店の値段より1円でも安く提供しお客様に喜んでもらえるように「努力」している。
他の家族も仕入れや総菜作りでお店を支えている。
なんていい家族、なんていいお店なのでしょう。

あなたはこの八百屋さんに感動して応援したくなっただろうか。
私はならない。

家族経営でそれぞれが役割を果たし、お店の運営のために協力しているという家族像は確かに美しいのかもしれない。
お客様に喜んでもらおうという心構えも必要だろう。

しかし、それで経営が苦しいですというのは、「そうでしょうね」と言うほかない。
私は八百屋を営業したことがないのでその経営の仕方が適切かどうかは決められないが、苦しい現状を打破できるものではないだろう。

薄利多売という言葉があるが、多売する量が減っているのであれば、いつまでも薄利というわけにはいかない。値上げするということではなく、ものやサービスにはそれに見合った価値を値付けすることで、販売する人、作った人などそこに関わった人や組織の利益を守る。これにより、そこに関わった人が消費できる金額が少し向上し、その人々が同じように買い物をすることで、回りまわって自身の給与が少し上がる。そのものやサービスに対して適切な価格を支払うことは、自分や周りの人の生活を守ることにつながる。

かつて日本には値下げ競争というものがあった。確かに一定の価格競争は必要だ。しかし、その競争も度を越してはいなかっただろうか。一度下げた値段を再び引き上げることはなかなか理解を得られない。その結果、多くのものやサービスが安くなり過ぎたのではないか。例えば、飲食店、旅館の宿泊(一部高級宿を除く)、あるいは先の八百屋さん。あなたの身の回りにもその例は転がっているのではないか。その結果、下げられるものは何か。人件費である。

そも、あまりに価値が見合わない苦労をどれだけの人が続けられるのか。やがて食卓からもやしが消えるかもしれない。行きつけのカフェがなくなるかもしれない。老舗のあの宿も閉じられるかもしれない。あなたの職場もなくなるかもしれない。あるいはあなたの友人、あなたの子ども、あなたの親が対価に合わない労働を強いられるかもしれない。

価値があるものにはそれに見合った対価を支払う。
言葉にすると当たり前のことである。

好きな漫画を立ち読みしていると、その漫画家に入る収入は減少する。立ち読みをする人が増えるとその減少額は大きくなる。漫画家は良い作品を作ったにもかかわらず、住環境や食生活にお金をかけることができない。やがて体調を壊し漫画を描かなくなってしまった。

極端な例である。

だが、その結果我々はその漫画の続きも、続編や新作も読むことができなくなったのだ。

私は単純に面白い漫画を描く人には書き続けてほしいし、おいしくてバリエーションのある食事を食べたい。馴染みのお店がなくなるのは寂しいし、友人には労働に見合った対価を得られる職場にいてほしい。

私は今、手取り15万円前後だ。ひどく貧乏かと言えばそうではないが、もちろん裕福でもない。私より収入が少ない人はお金があるから言えることと言うかもしれない。その人の生活を私は想像できないし、だからと言って他人に適正価格を強要するものではない。

あくまでこういう考え方もあるという、私の頭の中を共有しているに過ぎない。

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