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農家2年目の思考

 地方移住をして、まず着手したのが農家。整骨院の傍らで農業をやろうと考えたのだ。元々、農業なんてやるつもりはなかったんだけど、田舎に来ると農地が遊んでいて勿体無いなーって感じるようになり、農業をすることになる。  
写真は道の駅に出荷している様子。

  一次産業は情報収集と行動力の勝負である!

格言のようなことを言ってしまったが、これが率直な感想。農業に関して言えば、お金を生産するのと同じ。つまり効率よく収益化していかなくては絶対に儲からない。誰でもできるが、どんなやり方でもいいってことではない。市場の原理原則を把握して、その上で生産とマーケティングをしなくてはならない。農業って生産に目がいきがちなんだけど、結局はビジネスなのでマーケティングができないとうまくいきません。逆にいうと、こういう視点で農業をやっている人ってまだまだ少ないので、発展途上な業種でもあるわけ。暗い未来の日本にも伸びしろのある業種が農業!かも知れない😆

 

長ーいインゲントンネル

 まあとんでもない長さの支柱をたてたもんだ(;ω;)  畑にはたくさんの花が咲いていて、ここに実がなる。花はもろく、すぐに落ちちゃうので結構気を使うのだ。
 かつて、ここ飯舘村では高冷地を活かしたインゲンが名産だった。真夏でも夜露がつくため水分管理は簡単だし、暑すぎないためインゲンが適地的作。真夏の平野ではインゲンが高温障害で枯れてしまう。夏のインゲン生産は限られた地域でしか行うことができず、良質なインゲンには朝晩の温度差が必要。その環境がここにはある。
 しかし、震災によって避難した人が飯舘村に帰ってこず、150戸以上のインゲン生産者を誇った地域が現在、飯舘村のインゲン生産者は片手で数える程度。まあ暗くなるような話である。
 原発のせいで‥。東電のせいで‥。と住んでいた住民は考えている人もいれば、賠償金をもらえて農業をやめられるー!って考えてる人もいる。
飯舘村のリアルな歴史はまたの機会にして🤣

環境に変化はあれど、気候は同じです。
移住した私からすれば、農業をするのに困るのは役場の対応くらいで、他のことはそんなに問題ではない。圧倒的な不利を得たこの飯舘村にはマンパワーでしか対応策はなく、try &errorを繰り返していくしかない。迷う必要性がまったくない地域と言える。クリーンな前進をすることができる優良地域かもしれない、と考えている。
 農業は奥が深く、生産する品種も販路も選択するのは自由。一次産業は食べ物だけではなく、セルロースやハバネロ等の工業製品の原料を生産してもいい。家畜に与える飼料だっていい。タバコだっていいわけだ。貿易、世界経済、世界情勢、TPP等の政策、将来的な予測、気候変動、あらゆる思考を張り巡らせて何を生産するのか、どうやって生産するか、規模。これらにアンテナを張って変化しビジネスをしていく。それが農業!

        まさに沼!


熱くなりすぎたので、今回はここまで!


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