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中之島美術館

中之島美術館といったらヤノベケンジの宇宙猫。嫁のせっかくの美容室後の優雅なひと時をぶち壊しての中之島美術館。太郎の中学での部活の第1希望が美術部だったため、良い勉強になるとの思いからの強行日程。嫁が12時に美容院からいそいそと自転車で戻ってきた割には大荷物。子の喜ぶピカチューマンと親の喜ぶトンカツの惣菜やらなんやら。その戦利品の一番の目玉を冷蔵庫にしまう前に一度見せてくれる。彩華ラーメン。食いつきたい話題をいなし、太郎の歯を久しぶりに磨き、用意しバイクに乗る。日曜の中環と新御堂をぶっ飛ばすと黄砂と速度が遠くの都会をぼやけさす。あっというまに大阪。はらへったな、たこ焼きでも食う?と太郎の提案に賛同し携帯を渡し、マップでたこ焼き探して、あるわ、みせて、一番近いんはここやな行くか、というと、一様営業中やけどな、とマーフィーを投げかけてくる。まー福島ならなんとかなるやろと、意に介せず横断歩道のない道を通り川沿いの階段を上ろうとすると、太郎が来てない。中之島通りを車が2台間隔をあけ走り抜ける。やっと来たかと思うと、左右みてたら先行くから、とこっちのせい。その前から左右見て横断してるけどな、との思いを胸にしまい無視して歩く。スタスタスタスタ、わざとらしく意地悪な感じで。すると後ろからラリアット。小6やなと綺麗な散歩道を楽しむ。ピカソも村上三郎も子供心に芸術性を見たとしたら、このラリアットはもう芸術。川面の光がシュールレアリスム。現実とアートがひっくり返る。
芸術部ではなく美術部に入るんかと太郎の未知の未来が頭をよぎる。思考が反芻するときはいつも決まって不安な時で、しでかしたりされたりで心が弱る時に起こるってことは俺は美術部に入ってもらいたくないんか、と自分の気持ちを言語化してる間の散歩のツマミ話はツートライブのたこ焼きが、わなかよりすごいという話。ツートライブよう空論城に出るなマユリカの悪態があるから余計に健気に頑張る姿がスタッフに愛されるんかな、たこ焼きつながりやろ、たしかに、と腑に落ちる論で論破されたり、もうたこ焼きちゃうやん、と論ずるに値しないなどの話をしているとたこ焼き屋。8個買い2個もらう算段。ゴミのことを思い店内で食べようかと思うが考え直し川沿いの持ち帰りにしてもらう。ABCのウエストランドのポスターのかっこよさに見とれ吸い込まれるように階段で上へ。床が気になる。どうやって職人は木を打ち付けたのだろうかと階段の床と壁との取り合いをみて、後から壁作っただけかと、一人で納得していると、エビシーと開けた屋外。自動販売機もエビシー。くまもんやらふなっしーとか縮めて付け足すというゆるキャラの名前の常識の逆をいくエビシーのチャッチーさに舌を巻きながら、たこ焼きに舌鼓。太郎が悶えている。熱すぎてどうしようもなく苦悶の表情。浜ちゃん笑い。つい笑ってしまうが我に帰り、ポカリ飲むか、のアドバイス。それどころじゃないようで悶絶。また笑ってしまう。でもおかしいなと思いながら一口まるごと頬張る。たこ焼きはやきたてがうまい。鉄板で待ってるたこ焼きはまずい。さっき買った時の鉄板には4分の3が焼きあがった状態で残っていた。ビジネスマンのいない日曜日の街は閑散。むむっと思いながら惰性で注文。保温で外カリのぬるいたこ焼きだと決めつけて、はてな、となめてかかり中のとろりが舌に流れるとあついあつい。同じように悶え、笑えない。耐え味わうと、出汁の香りが内側から熱ととも広がり舌の側頭部にねっとりと小麦粉の余韻。うまい。あ、あのときと一緒の感覚。もう一個を食べ、デジャブのあの時を思い出した。うま、俺ちょっと感動してる西宮のピープルの地下のたこ焼き屋の次にくらったんはわなかやねん。そのわなかの時のデジャブやわ。ふーんと口をもぐもぐ。瑛ちゃんすごっ、たしかにうまいな、やばいって、もぐもぐ、ほんまに、もぐもぐ、この出汁の感じはそうそうないで、ほんますごい、ほんまに、もぐもぐもぐもぐと会話が消える。男に二言はない。もう一個くれと唾を飲み込み景色に目を移す。もぐもぐ、そわそわ。ツートライブと瑛ちゃんに負けてるようじゃ、わなかしょぼいな、とボケると太郎は少しはにかんだかと思うと口にもどって真顔。すべったんかと少し不安。間を埋めようとすると怪我をする。銀シャリ橋本理論は空論ではなく現場で起きている。片付け、元のたこ焼き屋へ向かうために階段早降り勝負。勝負事での親は子が幼いときは負けてあげ、成長するとともに引き分け、勝ちで愛を教える。勝つのは大人気ないので引き分けのちょうどを目指す。この引き分けが負けてたんだなと子が思う時とサンタの真実を知る時は成長の線引きでしかない。ハンデと余裕をかまし、まくるぞまくるぞ、息巻いて縮めていた距離が縮まりきらなかった。負けた。喜んでいる子の自尊心で超えられた時の親特有の贅沢な慈愛が溢れ、つい美味しかったと目を見開きたこ焼き屋さんに伝えると、少し困惑顔。頭を下げ、ゴミを捨て、いざ中之島美術館へ。橋を渡っていると渡る時にいたおばあちゃんとおっさん。あれなんで引き返してるんやろと思いながら橋を渡りきり信号がちょうど赤。元のルートでと左に曲がり進むと少し遠い後ろの太郎が、横断歩道ないとこ渡りたないねんけど、と断固たる決意。うそやん、と言い引き返し信号待ち。すると前にはおばあちゃんとおっさん。コロナ間合いを取り待機。いけるやん、めんどいねん、現代っ子やわ、知らん、関西人が信号無視せんで誰がすんねん、知らん、まあそっちが正解か、危なくないしな、まーなー、などの小言の最中ずっとおっさんがこっちに体を振り向き凝視してるのが散眼で解る。じろじろ見てる。発達障がい系かなと目をそらし話し続けてるけど信号が長い。次第にイラチと相まりムカついてきて目を合わせ見据える。数秒眼が合うと間が悪いのか、くるりとおばあちゃんと同じように背を向けてくれたと思ったら青になった。同じ進路と溢れでる気配で中之島美術館を目指してるようだった。道を教えようかと思うが、ここまできたらわかるかと、差して先を歩いた。振り返り銅像の前でチラシを見ながらなにやら話してるふたりを見ると次第に罪悪感がこみ上げる。アラーキーか藤原新也かが、わたしは芸術家ではない草間彌生は芸術家だ。と言っていた。精神病の感受性が芸術性ならば、子供心の感受性も芸術性。テオ宛に書いたゴッホが精神病のレッテルを酷く嫌った手紙に目を通した小林秀雄がゴッホの絵を前にして贋作でも良いと感動した批評は自分の心の言語化に対しての批評で小林秀雄の感受性はアート。そんなアートな感受性を持ったおっちゃんを信号待ちで睨みつけ、もしビビらせパニックになり車道に飛び出していたかと思うと、さっきの殺人未遂やんと罪悪感に苛まれる。そんな気持ちでアート作品は見たくない。そんな時は親鸞さん。煩悩、悪人、往生。往生は後悔し改心することならば、往生でいうと法然さんも兄弟子も親鸞さんも俺も一緒。なにしてんねん、で懺悔と後悔を捨て、宇宙猫。ちょっと酸素ボンベ少ないで、とツッコみ館内。庭園の飛び石のようなエスカレーターの時間と都会の空間の贅沢な開放感は平安神宮の鳥居をくぐった時のような感じ。平安神宮ほどの敷地はなくても吹き抜けと縦目地のガルバニウムと間接照明のどでかい天窓からの光で、そう感じさせてくれる。テート美術館 光 ターナー印象派から現代。マネかセザンヌか黒を信じないと言っていた。赤は白の光の中の緑と青を吸収し残りを跳ねかえして赤になる。でも黒は全てを吸収してるから黒であり、跳ね返る色を見ていない。だから信じないし見えないものは描けないと言っていた。黒に対して諦め悟り達観する様を仏教やなと思っていたら、科学がもっと黒をだしてきた。ベンダブラック。みんな黒が0だと思っていた。でも0は1で正確には99,695だった。現代美術家のカプーアはそれを0だと思ったか、それも1で次は99,995だった。五条悟か特殊相対性理論か知らんけど、もし黒の0を観れるとしたらベンダブラックを見た時のような感動を超えれるのか。視神経を切って失明させても脳で光を見そうだし、ブラックホールで0の黒を見た瞬間にホーキング放射を放ち吸い込まれ命はないだろうから感動はできない。白の0を見る時も焼け死ぬか、と思案に耽りながら入場すると、すぐカプーア。FRPの形が見てる俺周りの空間の光を窄め反転さす。中島らもが、網膜のピントから脳に入るのは逆でそれを脳が補完してるだけで、ほんまはコウモリみたいに逆の世界や、と言っていたのをさらに戻され脳で補完するとわけわかめ。光の奥の作品の深い赤や黒にピントを合わせようとするとギュインギュイン手前の光に強制的にピントを合わさせられ作品の色がみえない。この作品はベンダブラックの黒じゃないけど見えない、のがおもしろいし、ベンダブラックならこの光はないから見える、はずやし、それもほぼ見えてないし。みえないのが見えてるだけで、わけわかめ。上岡龍太郎は談志噺は理屈をこねくり回した先の、わからんからが真骨頂といっていた。もし印象派の父マネが現代美術家カプーアをみたらどう感じるのだろう。北斎や手塚治虫は呪術廻戦にくらうやろうし、マネもくらうのかな。太郎は?

家に帰り芸術学科卒の嫁にどうやったんと聞かれた太郎の感想は一言だけ。 たこ焼きうまかった。 ちゃんとアート楽しんだんか、と横槍をいれた。
宇宙から見る地球の感動も3日も経てば、あのたこ焼きの方が感動するだろうし、あの宇宙服を着せられた猫はその場で脱ぎ捨て魚を頬張るだろう。
横尾忠則は小池百合子より先にWith Coronaといい、志の春は正しく怖がるの怖いという感情の形容詞に正しいは正しくないといった。
野暮か、と前言撤回しながら袖を通したTシャツはユニクロの在庫処分の500円でデザインは二の次で気にもしてなかった。そのTシャツがテート美術館のロゴだった。それに気付き、嫁に肩のロゴを見せ俺テートマニアやったわと興奮していうと、ふーん、とニンニクの臭いがした。 敬称略

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