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日本人の黒歴史「マッカーサー崇拝」

 閣下よ! 日本を憐れんでやって下さい 否現在日本の罪を忘れて憐れんで頂いて居ります
 閣下よ! 願くば哀れなる日本を根本から救ってやって下さい
 否 御願ひ申上ぐるまでもなく日本を根本から救つてやろうと思召して居つて下されます
 その御厚意の表はれが日々の御指令に顕はれて居ります
 吾々日本国民は今日まで敵として戦ひ来たりし貴国から今日の如き慈悲あふるる御指導を仰いで何んと御礼申上げてよきやらその言葉も知りません   
 貴国の如き御寛大なる御国柄なればこそ出来るのです(略)
 日本人は実に野蛮人です 吾々は大いに悔い改めなければなりません

 上の文章は太平洋戦争で日本がアメリカに負けて勝利者として乗り込んできた連合国軍最高司令官総司令部のトップ、ダグラス・マッカーサーに宛てたある日本人の手紙の一部です。このような日本人からの手紙を集めた袖井林二郎氏の「拝啓マッカーサー元帥様」という本をもとに敗戦直後の日本人の黒歴史について考えていきたいと思います。
 本の内容は手紙を送り付けられたGHQが占領統治のために分析し保管していた嘆願書や陳情書を筆者が選んで解説するというスタイルの本です。
送られた手紙はレッドパージや公職追放から漏れた(隠れ)共産主義者や(過去を隠した)戦前の国粋主義者をわざわざ日本人の方から手紙で密告して排除してくださいとか、日本をアメリカの一部にしてくださいとか贈り物をお受け取りくださいとか、大地主から土地を取り上げる農地改革に手心を加えろとか、占領統治をほめたたえるものから批判するものまでさまざまです。

 掲載された手紙を読んで、まあ今でも政治家への嘆願書とか陳情はこんな感じかなぁと思うものもあります。
 この本には載っていないですが当時の日本人女性で70手前のマッカーサーへのラブレター、もっといえばあなたの子供が欲しいというような手紙を送ったひとがいるそうです。何百通もそういうものが存在したそうですが資料として価値なしと処分されたのかそれとも人知れず倉庫の片隅で眠っているのか著者の袖井氏も見つけることができなかったそうです。

(ちなみに以下はこれらの日本人の手紙を研究しての袖井林二郎氏の感想
(略)その行為は、日本占領の本質をあざやかに照らし出している。つまりそれは、アメリカによる日本占領とそれに引き続く諸改革の実施が、少なくとも多くの庶民にとっては、いわば強姦でなく和姦であったということである。私は占領研究に志してからしばしば。「当時の日本人は占領と寝た」といって、謹厳な方々の不興を買ったが、今でもその信念に変わりはない。日本人はいそいそと占領と寝て「改革」という子を産んだのではあるまいか。)

 でここでは恥ずかしい手紙を取り上げてあげつらうのではなく、なんで戦争中が鬼畜米英と言っていたのに敗戦後とはいえそんな手紙を書いたのかをそれに至る経過を考え、日本人の異常な精神状態で行われた戦後改革について考えたいと思うからです。

 敗戦前の日本と今で大きく異なるのはポリティカルコレクト、公での正しいこと正しくないことが違うことです。
 戦前の日本は当たり前のように植民地があり当たり前のように徴兵制があり国の命令なら戦争に行って敵を殺す。お国のために死ね、と。昭和初期に生まれた人は生まれたときに当たり前のように朝鮮半島や台湾が植民地だったりするわけで植民地よくないという発想ができない。中国との戦争反対とか朝鮮半島の独立を認めろ、などいうと白い目で見られた、治安維持法ができた後は「アカか」と思われ特高という治安警察に捕まる世の中でした。
 戦前の人にとって満州国も中国の軍閥から中国の民衆を救った良いことをしてあげている、朝鮮半島も遅れた朝鮮を植民地にして発展させてあげているそういう発想が普通でした。
 そして「(石油が出ないのに)満州は日本の生命線」と中国東北部に傀儡国を作るだけで飽き足らずさらに「生命線」以外の中国の領土を切り取ろうとして蒋介石の率いる国民党や毛沢東の共産党と戦闘をする。大陸進出に歯止めがかからなくなっているのに欧米諸国が満州から手を引けとか中国から撤兵しろとか抗議がある。日本たたきの急先鋒はアメリカで一応中国をまとめている国民党の総統蒋介石と知り合いの親中派あるいは共産党のシンパの政府高官が対アジアの外交を動かしていました。
 それに対し日本は植民地を仰山持っている欧米諸国が何をぬかすと怒ります。それでも日本も最初はアメリカを懐柔しようとあれこれ外交活動をやるのですがルーズベルト大統領夫妻の心を蒋介石の奥さんががっちりつかんでいるので日本の締め付けが止まらない。最後にハルノートを叩きつけられて喧嘩上等と堪忍袋の緒が切れたとばかり開戦に踏み切ります。
 なんで国力の差が明らかだった愚かな戦争をしたのかというと明治維新以降の日本は太平洋戦争がはじまるまで基本的に大きな戦争は戦えば勝てました。領土や人口が何倍もの清国やロシア帝国という大国に勝てました。なので、憎きアメリカとの戦争も開戦時は日本国民のだれもが支持しました。で鬼畜米英と言っていましたが負けてしまい占領軍が乗り込んできます。
 そこで武装解除された日本人が侵略者である占領軍になぜ非暴力抵抗しなかったのか。(ガンジーは非暴力の抵抗だが日本人は非暴力の無抵抗が好きなようである)なぜあそこまで従順に従ったのか。
 まず、挙げられるのはあらゆる戦前の日本のポリコレが嘘になってしまった。日本は神の国でなんだかんだ最後は勝つと思ったら負けてしまった。この時の日本人の精神状況を岸田秀という精神科医の方がうまく表現しておりまして

大日本帝国は崩壊した。大亜亜共栄圏は幻想に終わった。狂気の発作からさめた分裂病質者と同じように、日本人はついさっきまでの自分の行動をえらく恥じ入り、後悔する態度を示し、もう二度とこのようなことはしないと誓うのだった。「ものぐさ精神分析」

 戦争のときは躁状態だったのに負けて鬱になってしまった。「日本人」というマクロな視点ではこういう見方もできますけどミクロな個々の日本人の心変わりをマッカーサーへの手紙は教えてくれます。この本に収録されているもので当時の作家さんで戦前に戦争協力したせいで公職追放になった人の手紙は、かつての戦争協力は無理やりやらされた、生活のために仕方なかった、だから生活のため追放を解除してくれとかつての敵将マッカーサーに頼み込むものがあります
 この日本人の変わり身の早さをどう評価するかは日本人が順応した占領統治の間に行われた革命級の改革の評価につながっていきます。
 改革の震源地で占領統治の親玉でもある手紙の送り先のダグラス・マッカーサー。この日本人が熱烈に崇拝したマッカーサーとは何者か。

 白洲次郎や石原莞爾や吉田茂を持ち上げるときに「マッカーサーが恐れた」とか「マッカーサーを叱った」とかそのようなしようもない引き立て役な人ではなく戦後日本の方向性を決定づけた人と言って過言ではない人です。しかしこのひとは複雑な人であえて今で言えばアメリカ元大統領ドナルド・トランプに近い人です。
 二人とも自己顕示欲が強く奇行が多い、ヨーロッパにお友達がいない、日本との関係は良好で朝鮮半島での行いは評価が分かれるという共通点があります。また二人とも暴言のオンパレードな人で、マッカーサーの暴言の一つに「日本人は12歳」というものがあります。こんなことをいう人なので大統領候補になり損ねた後のマッカーサーの東京裁判批判やアメリカに開戦の責任があるというような発言を右寄りの人が有難がるのはどうなのと思ったりします。

 さて二人が違うのは、まずトランプは大統領になれたマッカーサーはなれなかった。ルーツはトランプがドイツ系、マッカーサーがスコットランド系という点です。
 マッカーサー家はおじいちゃんの代にスコットランドからアメリカに移ったそうですがスコットランド系であることは彼の思想を考えるうえでの一つのポイントではないかと思います。
 彼の日本占領時代の思想のルーツを探ると同じスコットランド系のマッキンリー大統領がフィリピンを植民地化した際に発した「自由なるものはただ救済するためにのみ征服する」という言葉に青年時代のマッカーサーは非常に感激した、つまりそんなことしても正しいと思ったそうです。
 この言葉が発せられたフィリピン植民地化の際にマッカーサーの尊敬する親父アーサーがアメリカの軍人として軍隊を率いフィリピンの独立運動を弾圧して指導者のアギナルドを捕らえています。親父はまた文明が野蛮を救済するとばかりネイティブアメリカンを迫害しアメリカ人として居留地で生活することを強いています。
 息子は息子で太平洋戦争に突入する前の取り巻きは反共主義者や反ユダヤ主義者でトランプ支持者みたいなのに囲まれていて世界恐慌で苦しむ退役軍人のデモを共産主義者に扇動されたとして排除します。
 日本にとって幸いなことに第一次世界大戦にも従軍しいくつもの戦場を渡り歩いた彼が太平洋戦争終結とともに突如平和主義に改宗したことです。
これはあまりにも戦争の惨禍が酷く聖書にあるアルマゲドン(世界の終末戦争)は核兵器にもたらされると彼自身が畏れたためで、そうならない第1歩として軍国日本を平和国家に魔改造したわけです。
 動機が宗教的情熱なので正しい側の人間が悪しき人間たちに何をしても構わないところがこの人はあります。
 後年朝鮮戦争で中国共産党軍の侵攻で正義側である国連軍が劣勢になったとき悪しき共産主義者とケリをつけるために核兵器の使用を目論見、世界を滅亡させかねない第三次世界大戦を引き起こそうとしました。
 しかしマッカーサーが日本に乗り込んだとき周りのスタッフは超絶優秀な学者がいて皆使命感を持って敗戦国の新しい国づくりに取り組みました。
マッカーサーは本国から送り込まれたり招き入れたりされた超絶優秀なスタッフに囲まれてはいましたけどやはり強大なカネと権力を動かせるので当然その過程で問題がもっと言えば腐敗が起きます。
 マッカーサーを頂点とするGHQの最大の問題は思った通りにならなくなると陰謀めいたことをし、内部の権力闘争に日本側も巻き込まれる。これがいわゆる「黒い霧」といわれる汚職やら贈賄やら口封じの暗殺疑惑という戦後の混乱と腐敗につながります。
 また進駐軍も今の沖縄米軍基地の兵士のおじいちゃんにあたるので当然婦女暴行をはじめ乱暴狼藉をしていました。
 占領統治の落ち着いたころから終わりの方には日本人は少し熱狂から覚めて占領軍やマッカーサーに抗議の手紙がぞくぞく届くようになるのですが、朝鮮戦争でマッカーサーがやらかしてトルーマン大統領に解任されアメリカに帰る際はこれまた多くの惜別の手紙が全国各地から送られてきます
 偉大な建国の父が去った日本人たちはマッカーサー記念館やらマッカーサーの銅像を創ろうという話をするのですが、アメリカに召喚されたマッカーサーが議会で発した「日本人は12歳」という発言が伝わりそういう恥ずかしいものは幸いなことにして作られませんでした。そしてこういう恥ずかしいマッカーサー崇拝を日本人がしたということは教科書にのせられない黒歴史として今に至っています。

 この本は1985年に世に出てその後2回出版社を変えて世に出ております。一番新しい岩波現代文庫版は2002年に出ております。どこも初版で終わっているようで今時点ではあまり大きな本屋でも並んでなく入手困難な本です。ですので、こういう日本人の黒歴史書をご自身でお読みになりたい方は図書館に行けばあるかと思いますので是非ご自身でお読みなってはいかがでしょうか。

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