日記

本日、誕生日を迎えたということでnoteとやらを始めてみようかと思う。非常に飽き性というか大体のことは3日坊主であった自分のことなので、長続きするかは怪しいものだが、まぁやらなければならないことではないのでのんびりやってみようかと思う次第。

誕生日

誕生日。優しい両親に、それなりの親の収入、なかなか恵まれた家庭環境で育ったおかげで子供時代の誕生日はとても嬉しいものだったという記憶がある。これについては両親に本当に感謝している。普段思い出すことはあまりないが、やはり子供時代の楽しかった記憶というのは自分にとっては人生の基盤になっているような気がするのだ。

しかし、今の私はりっぱなおとなである。「立派」であるか、「大人」であるかは疑問が残るが、日々精一杯、大人を偽装するべく頑張っている、りっぱなおとな、である。

世の大人たちはいかようにして自らの誕生日を祝っているのだろうか。
それとも、「もういい大人なんだから、誕生日なんてそんなに喜ぶものでもないわ」と言って特別なことはしないのだろうか。

きっと、立派な大人というものは、朝は鳥のさえずりで目を覚まし、土鍋で艶々のご飯を炊き、旬の食材を使った料理を作るのだろう。体にやさしく、かつ季節を感じられるような品をさらりと作り、料理に合った皿に美しく盛り付け、生産者と自然の恵みに感謝しながらゆっくりと味わうのだ。
家は清潔かつ質の良い家具たちで彩られているに違いない。自分のセンスとじっくりと時間をかけて集められたモノたちを、丁寧に手入れをしながらさらに自分好みへと育てていくのだ。そして、当然仕事はしっかりとこなす。上司には頼られ部下には慕われる。取引相手にはこの人と仕事がしたいと思われ、競合相手には一目置かれる。世にこれまでなかった革新的な何かを送り出すため、または、世の中に必要なもの・サービスを提供するために、日々仲間たちと協力してやりがいを感じながら働いている。ただし、残業はせずメリハリをもってということも重要だ。
夜になり、家に帰ると夜ご飯を作る。今日一日頑張った自分をねぎらい明日への活力をもたらすようなご飯だ。春は菜の花やタケノコなど春の訪れを感じさせる食材や使い、夏は育てたトマトや茄子、胡瓜などを使いさっぱりとしたものを作るため夏バテ知らず、秋はキノコに栗そして戻りガツオなどたくさんのおいしいものの中でもより質の良いものを選び取り、食の秋を堪能する、冬は厳しい季節を乗り越えるため甘さや栄養を蓄えた食材たちを使って温かな料理を作ることで、心も体も暖かな気持ちになる。食べ終わったら、岩塩を入れたお風呂につかり、体の芯まで温め疲れを癒す。ドモホルンリンクルを塗り、美しくあるための努力も欠かさない。体の調子を整えていくといえばヨガだ。仕事で凝り固まってしまった体をゆっくりとほぐしていく。町の人々が生活する気配を聞きながら、静かに瞑想をしたら終了だ。終わったときには、背筋もすっと伸び、胸いっぱいに空気を吸い込むことができるようになっているはずだ。ベット脇でオーヘンリーの短編小説を読み少し眠たくなってきたらふかふかの布団に包まれ眠る。

毎日、丁寧に生活をすればそれだけで心は満たされている。
特別なことなんて必要がないのだ。
よく観察すれば同じ一日など一度としてなく毎日が特別な日なのだから。


さて、寿司食ってケーキ食って酒飲んで自分へのご褒美として買ったゲームして寝よっと。